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| ジェッツにも在籍した経験のあるバッカニアーズWRキーショーン・ジョンソン |
タンパベイ・バッカニアーズのWRキーショーン・ジョンソンの幼き日は、常に貧困との闘いだった。11歳の誕生日は、ホームレスの人々の避難所で迎えた。生計はダフ屋やドラッグの販売、窃盗で支えていた。そんな中で、ジョンソンのハングリーさは培われた。
南カリフォルニア大での華々しい活躍の後、1996年のドラフトいの一番指名でニューヨーク・ジェッツに入団。しかしジョンソンを待ち受けていたのは、1勝15敗という凄惨なシーズンだった。翌97年5月には、その体験を赤裸々に語った著書『俺にパスを寄こしやがれ!』を出版。「わがままで身勝手」という色眼鏡で見られるようになってしまった。
ただ、このジョンソンの態度は、あくまで自分に厳しい、ハングリーさからくるものだった。翌年、ジェッツは指揮官に名将ビル・パーセルズを迎える。これがジョンソンにとって転機となった。厳格で選手に服従と献身を要求するパーセルのスタイルに、ジョンソンは心酔した。98年には自己初の1000ヤードレシーブを達成し、ジェッツのAFC決勝進出に大きく貢献した。
しかしその後のジョンソンの選手生活は、逆境の連続だった。初めてスーパーボウルが現実的な目標となった99年シーズンの初戦、エースQBのヴィニー・テスタヴァーディをアキレス腱断裂で失い、シーズン前半の1勝6敗の低迷ぶりが尾を引き、チームはプレイオフ進出すら逃した。さらにシーズン終了後には、慕っていたパーセルズがヘッドコーチの座から勇退、代わってLBコーチだったアル・グローがジェッツの新指揮官となった。そして直後に、ドラフト1巡指名権2つを代償とするバッカニアーズへのトレード。まさに失意のどん底に落とされたジョンソンであった。
当時のバッカニアーズは、指揮官トニー・ダンジー(現コルツ)の下、守備主導でチームが作られ、オフェンス陣は得点力不足に常に苦しんでいた。移籍1年目の2000年、ジョンソンのパスレシーブ獲得距離は1000ヤードに遠く及ばないものだった。翌01年は、捕球数こそ自己最高の106回をマークしたが、TD数は自己最悪のわずか1個。再びジョンソンはフラストレーションに苛まれることとなった。
しかし、神はジョンソンを見放さなかった。ちょうど97年のパーセルズとのそれのように、昨季ジョンソンは、ジョン・グルーデンとの運命的な出会いに恵まれたのだ。
「パーセルズの38、9歳の頃は知らないけど、グルーデンを見てると、パーセルズが思い浮かぶんだ。それは、ちょっとしたことなんだけど。2人とも、とても要求が厳しいコーチ。2人とも、選手の尻を叩きつづけるコーチなんだ」。
そしてグルーデンの指揮の下、バッカニアーズは見事スーパーボウル制覇を果たした。かねてより「スーパーボウルへ行けなければ、俺の選手生活は失敗ってことだ」と語っていたジョンソン。人一倍強く抱き続けていたその願いも、見事満たされることとなったのだ。 |