第20回 《デトロイト編》
僕は一時期、スーパーボウルの取材で渡米するときに必ずデトロイトを経由していた。当時、頻繁に利用していたノースウェスト航空のハブ(主要空港)であるため、どの都市に行くにもまず成田からデトロイトへ飛び、入国審査を受けて国内線に乗り継いだものだった。
デトロイトメトロポリタン国際空港を利用したことのある人なら、入国審査に向かう通路で「ようこそデトロイトへ」と日本語でかかれたプレートを見た人も多いだろう。最近ではこういった日本語による歓迎の言葉は珍しくないが、それでもほかの空港に比べてデトロイトは日本語の案内が多いように思う。観光地といった雰囲気の街でもないのにこういうサービスが行き届いているのは、やはりビジネスで訪れる日本人が多いのだろうか。
ミシガン州デトロイト市はエリー湖近くの街で、デトロイト川を挟んでカナダ(トロントと隣接している。前回取り上げたクリーヴランドとエリー湖を挟む形で向かい合っており、この2都市はお互いに工業地帯としてしのぎを削ってきた。クリーヴランドの産業がシカゴやデトロイトに押されるように衰退して言ったことは前回書いた。しかし、そのデトロイトも隆盛と衰退を経て今日に至っている。
デトロイトといえば自動車産業が有名だ。フォード、ゼネラルモータース、ダイムラー・クライスラーの3大自動車メーカーの本社がこの街にある。モータータウンと呼ばれる所以だ。五大湖に近接する地の利を生かし、潤沢な水と水上交通の便を利用して自動車産業は隆盛を極めた。自動車といえばデトロイト、そんな評判が60〜70年代にはほぼ常識化していた。
しかし、80年代に入るとその自動車産業にかげりが見え始める。日本製の自動車が市場を侵食し、米国内産業に打撃を与えたのだ。アメリカは日本の対米黒字が多すぎると批判して通商条約で圧力をかけ、内需拡大に努めたが、自動車産業の後退に歯止めをかけることはできなかった。反日感情や日本車不買運動が最も激しかったのはデトロイトだったのも当然だった。
工業都市の衰退ほど街を寂れさせ、荒廃させるものはない。廃墟となった工場はそれだけで不気味な雰囲気を持っているし、治安悪化の一因にもなる。デトロイトは一時、アメリカでも最も治安の悪い都市のひとつとなってしまった。
70〜80年代にかけてアメリカは多くの工業都市が衰退していった。クリーヴランドやピッツバーグも同じだ。同時にこういった街は再開発を実行することで再生してもきた。クリーヴランドは観光都市に生まれ変わり、ピッツバーグは鉄鋼産業一本やりから多角的な産業都市へと形態を変えた。
デトロイトは街を近代化することで再開発を進めた。見栄えのいい新しいビルを建設し、都市の大規模な区画整理を行った。この再開発は自動車産業の衰退で職を失った街の住民に新たな仕事を与え、街の経済を活性化させることに一役買った。廃屋となっていた工場は姿を消し、近代的なビルに生まれ変わることで街の雰囲気も一変し、治安も徐々によくなっていったのである。
デトロイトの再開発の象徴とされるのが、デトロイト川に隣接するルネッサンスセンターである。1977年にガラス張りの円筒形という、当時としては画期的なデザインの高層ビルがいくつも建設された。「ルネッサンス」という名称に復興を願う市民の気持ちが現れている。
ルネッサンスセンターにあるマリオットホテルは73階建ての超高層ホテルだ。このホテルには地上72階に展望台と展望レストランがある。展望台はSummit
Observation Deckと名前がついているが、まさにSummit (山)なみの高さだ。ちなみに、この展望レストランは全米で最も高い位置にあるレストランなのだそうだ。
観光都市ではないデトロイトだが、見所は少なくない。120年の歴史を誇り、全米でも有数の規模を誇るデトロイト美術館、体験型博物館のデトロイトサイエンスセンター、自動車産業の歴史がわかるデトロイト歴史博物館、ゼネラルモータースのショールームなどは必見だ。また、スティービー・ワンダーやシュープリームスなどで知られるモータウンレコードはデトロイトが発祥。その博物館もデトロイトにある。
現在も再開発途上にあるデトロイトだが、この街にフランチャイズを置くスポーツチームもまた開発の一環を担っている。MLBタイガースは2000年に新スタジアム(コメリカパーク)をオープンさせ、NFLライオンズも2002年から本拠地をフォードフィールドに移した。2006年にはスーパーボウルが開催される。
この2チームのほか、NBAピストンズは88年から2連覇を達成し、NHLレッド・ウィングスはプレーオフの常連だ。 |