第15回 《ニューイングランド編》
第38回のスーパーボウルはニューイングランド・ペイトリオッツがキャロライナ・パンサーズを32−29で破って幕を下ろした。いろいろな話題を呼んだスーパーボウルだったが、この2チームにはひとつの共通点があった。どちらもチーム名に「都市名」がついていないということだ。記録というほどのものではないが、とりあえずこういったスーパーボウルは史上初だった。
北米4大スポーツのチームはそれぞれチームのニックネームの前に、フランチャイズを置く都市の名前を冠するのが普通だ。NFLでも「都市名+ニックネーム」と図式に当てはまるチームがほとんどだ。都市の代わりに州の名前をつけているものとしてはカーディナルズ(アリゾナ州)、ヴァイキングズ(ミネソタ州)、タイタンズ(テネシー州)がある。ジェッツとジャイアンツのニューヨークを州とするかニューヨーク市と考えるかは議論の分かれるところ。しかも、ジャイアンツの本拠地はニュージャージー州だ。
パンサーズの「キャロライナ」は州でもなければ都市でもない。強いていうならサウスキャロライナとノースキャロライナ両州の総称とでも言うべきだろうか。ちなみにパンサーズの本拠地はノースキャロライナ州シャーロットにある。
「ニューイングランド」も都市名ではなく、コネティカット、ロードアイランド、ニューハンプシャー、ヴァーモント、メイン、そして、マサチューセッツというアメリカ北東の6州を総称する呼び方である。アメリカ合衆国の独立を語る上で欠かすことのできないのがこのニューイングランド地方だ。
ヨーロッパの旧体制を嫌って新天地を求め、未開の地に足を踏み入れた入植者たちは「自由の国」を建設するべく理想を語った。彼らの志はやがて新時代の胎動を生むことになる。すなわち、イギリスからの独立である。旧体制からの独立によってのみ自由が現出されると結論付けた彼らは、かつての母国と闘い、独立を勝ち得た。アメリカ合衆国の誕生だ。故郷を捨てた彼らの志は必然的に新たな国家へと向けられる。自らの力で誕生させた国家に根ざした志を、彼らは「愛国」と呼んだのである。
スーパーボウル直後のフランチャイズ物語は、優勝チームを取り上げることにしているので、今回はペイトリオッツにしよう……と思ったところで、はたと困ってしまった。ある疑問にぶつかったのだ。ペイトリオッツのフランチャイズってどこだ?
ニューイングランドの名前に忠実に従うならば、上記の6州すべてがフランチャイズとなる。でも、それはちょっと違う気がする。ペイトリオッツが本拠地を置くフォックスボロは、マサチューセッツ州最大の都市であるボストンから南西に40キロほど下ったところにある小都市。やはり、今回のフランチャイズ物語はボストンを中心に話を進めるのがいいようだ。
僕が初めてボストンを訪れたのは93年の夏だった。社会人になってから3年目。学生時代にピッツバーグで一緒に勉強していて、その後アメリカの各地に移っていった友達を2週間ほどかけて訪ね歩く旅をしたときのことだ。
その頃の僕にとってボストンとは憧れの街だった。ボストンは言うまでもなく全米屈指の「学業の街」だ。歴代大統領を何人も輩出しているハーバード大学を始め、最先端の技術で世界をリードするマサチューセッツ工科大学(MIT)、音楽の世界に大きな影響力を持つバークリー音楽大学など有名な大学がボストンに集まっている。僕が特に憧れたのはボストン大学(BU)とボストンカレッジ(BC)だ。両校はともに優れたジャーナリズム学科があることで有名で、マスコミ、ことに活字メディアを志すものにはメッカとも言うべき大学なのだ。まだ新聞記者になって日が浅かった僕は、いつかこのどちらかの大学に留学したい、と常々思っていたものだ。その希望は果たせぬままに今に至っているが、もし、実現していたら僕は今ごろペイトリオッツファンになっていたかもしれない。
せめてもの思い出に、と僕はボストンの大学を巡り歩くことにした。僕が訪れたのはちょうど秋からの新学期が始まる直前。キャンパスには新入生とおぼしきにきび面の学生たちが、必要な教科書を買うべく購買部に行列をつくっていた。
どの大学もキャンパスには緑がたくさんある。それが、茶色を基調としたレンガ造りの古い校舎と一体化して、なんとも言えない雰囲気を醸し出している。街をぬうように流れるチャールズリバーが静けさをたたえる。勉学するのにふさわしいこの厳かな空気は、姉妹都市である京都の荘厳な雰囲気に通ずるものがある。
ハーバード大学ではフットボールの練習場を見た。ジョン・F・ケネディはハーバード大学のフットボール選手だったから、彼もここで練習したのだろうかなどと考えてみる。フィールドの横にはフットボール部の専用オフィスがある。日本の中流家庭の戸建ての家くらいの大きさだ。ちょっとした博物館のようになっていて、フットボールファンにはたまらない。オフィスには広報の中年女性がいて、暇だったのか、丁寧に僕らの対応をしてくれた。いろんな質問をぶつけると、そのつど資料を持ち出してきて、ひとつひとつ答えてくれたその真摯な態度はうれしかった。
今でも覚えているのはフィールドの芝のきれいだったことだ。深い緑色の天然芝は、シーズンインを直前に控えて長さもきれいに整えられていた。こんなフィールドでフットボールをしてみたいなどと思ったものだ。
大学めぐりもさることながら、ボストンと言えばボストン美術館だ。100を超えるギャラリーでは世界各地、各時代の絵画、版画、写真などが展示されている。むしろ、僕たち日本人に必見なのは日本美術だろう。日本でも見られない葛飾北斎や安藤広重の浮世絵や、尾形光琳の作品などが間近に見られる。
正直に言うと、僕は絵心が全くない。それに加え、当時は絵のことなど全く分からなかったし、伝統芸術にも全く無知だった。それでも、ミレーの「種まく人」を見たときは衝撃を感じた。教科書や画集でしか見たことのなかった絵の本物が、手を伸ばせば触れられる(絶対に触れてはダメ!)場所にある。想像していたよりも大きなその絵は、絵画を全く理解しない当時の僕の足ですら止めてしまうほどの魅力があった。時を経ても色あせない芸術作品の前には知識の有無など関係ないのかもしれない。そう思わせる不思議な力がボストン美術館にはある。
ボストンを訪れたら、海の恵みも楽しむべきだ。マーケットプレースで食べたロブスターは最高だった。それ以前も以後もあれを超えるロブスターには出合っていない。僕が訪れた夏には、ホエールウォッチングのツアーがあった。船で2時間ほど航行して沖に出て、まさに身近で鯨を見ることができる。海中にしこんだセンサーで鯨の姿を追うから、ツアーガイドの指差す方向を見ていれば、鯨を見逃すことはまずない。ボストンの隠れた遊びのひとつだ。
ボストンは全米でも北米4大スポーツがすべて揃う有数の都市だ。そして、この街のチームにはある共通点がある。それは、ニューヨークに対して異常なほどのライバル意識を持っていることだ。ペイトリオッツはジェッツに、MLBレッドソックスはヤンキースに、NBAセルティックスはニックスに、そして、NHLブルーンズはアイランダーとレンジャーズとの試合に闘志を剥き出しにする。なかでも、レッドソックスとヤンキースのライバリーは激しい。
昨年のプレーオフでは「バンビーノの呪い」が有名になったが、これもレッドソックスとヤンキースのライバル関係を象徴するエピソードのひとつだ。バンビーノとはベーブ・ルースの愛称。レッドソックスで打者に転向し、ホームラン王にまでなったルースは、資金稼ぎの手段としてルースをヤンキースにトレードしてしまう。1919年のことだ。レッドソックスはそれまでに5度のワールドシリーズ制覇を誇る強豪チームだったが、ルースの移籍をきっかけにワールドシリーズ優勝から見放されている。その後、出場を果たすものの最終の第7戦で負けること4回。2003年はワールドシリーズ出場まであとアウト5つと迫りながら、ファウルボールをスタンドのファンがキャッチしてしまうというハプニングをきっかけにヤンキースに逆転を許してしまった。
逆にルースが移籍したあとのヤンキースは26回の世界制覇を誇る名門チームとなっていった。ボストンのファンたちは、レッドソックスがワールドシリーズ制覇から見放されているのはルースの呪いだといってはばからないのである。
ただし、2003年シーズンはNFLでペイトリオッツが優勝した。この3年間で2度目のスーパーボウル優勝に、いつもニューヨークに泣かされてきたボストンのスポーツファンは大いに溜飲を下げたことだろう。 |