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今週のプレイヤー、コーチトピックス


2002年版シンデレラストーリーか?
 
 NFC東部地区首位を独走しているものの、エースQBドノヴァン・マクナブをケガで失ったばかりか、代役として出場し第12週49ers戦でチームを勝利に導いた2番手コイ・デトマーも、この試合でヒジを負傷、一転窮地に立たされたフィラデルフィア・イーグルス。プレイオフへ向け、大切な第13週で先発QBを務めたのは、NFLではもちろん、大学時代も控えQBだった無名の選手だった。

 その名はAJ・フィーリー、毎シーズン爆発的な攻撃力を擁し、優秀なQBを何人も輩出しているオレゴン大の出身である。

 大学2年時の98年、フィーリーは全米有数のパサーとして名を馳せていたアキーリ・スミス(現ベンガルズ)のバックアップ役を務めた。翌99年、スミスがNFLドラフト1巡(全体の3番目)で指名を受け大学を去ると、フィーリーはその後がまとしてオレゴン大のスターターの座を手にした。が、8試合に先発したものの、ヒジを負傷し戦線を離脱。控えQBの3年生にポジションを譲った。大学最終年の2000年には1試合の先発機会もなく、投げたパスはわずか13回。失意のまま、フィーリーは大学生活を終えた。ちなみにフィーリーからポジションを奪った控えQBとは、今ドラフトでスミス同様、1巡・全体の3番目の指名でライオンズ入りしたジョーイ・ハリントンである。

 大学時代は脚光を浴びることはなかったフィーリーだが、イーグルスはその才能に注目し、01年ドラフト5巡で彼を指名した。3番手QBとしてチーム残留を果たしたフィーリーは、昨季レギュラーシーズン最終戦のバッカニアーズ戦で初めての出場機会を得、2TDパスを記録する活躍でチームを逆転勝利に導いている。

 プロ2年目の今季、さらなるステップアップを期したフィーリーだったが、厳しいNFLの現実が立ちはだかる。守備陣にケガ人が相次ぎ、交代要員補充のため、チームは9月26日、フィーリーを解雇したのだ。「つらい時期だった。よそのチームには行きたくなかった」とフィーリーは振り返る。

 間もなく練習生としてイーグルスと再契約し、10月8日に再び晴れて選手登録されたフィーリー。そのわずか2か月後、まさかスターターとしてNFLの舞台に立つとは、夢にも思わなかっただろう。しかし、イーグルスが動揺することはなかった。「ヘッドコーチは(フィーリーが先発になっても)オフェンスのゲームプランをまったく変えないはずだ。それだけ、AJを信頼しているってことだ」とRBデュース・ステイリーは語る。

 そして迎えたラムズ戦、フィーリーの成績はパス30回中14回成功(成功率46.7%)で181ヤード獲得と華々しいものではなかったが、インターセプトを喫することなく、敵オフェンスを3点に封じた守備陣の健闘に応えた。TEチャド・ルイスは、「少しうまくいかないことがあっても、落ち込むことなく、笑顔さえ浮かべていた。リーダーシップを発揮していたよ」と評価する。

 99年ラムズのカート・ワーナー、00年レイヴァンズのトレント・ディルファー、昨年度ペイトリオッツのトム・ブレイディと、過去3年のスーパーボウル覇者は、いずれもケガや不調などの理由によって、当初のスターターではない選手が先発QBに就いたチームばかりである。特にワーナーとブレイディに至っては、現在のフィーリーと同様、それまでNFLでのプレイ経験がまったくない無名の選手だった。マクナブの今季中の復帰が絶望しされる中、「大学時代の2軍QBからNFLのスターターへ」フィーリーのシンデレラストーリーがNFLシーズンのクライマックスに彩りを添えるかもしれない。
[2002年12月4日]

断食に耐えプレイする新人LB
 
 イスラム教の聖なる月ラマダン。アメリカのイラク攻撃の可能性が取り沙汰されるようになる中、ニュースなどで我々の耳に届くことも多い。この期間、イスラム教徒は日出から日没まで飲食を絶つ「断食月」となる。

 このラマダン、何も中東ばかりで行われている風習ではない。全世界に9億人いるとされるイスラム教徒は、当然アメリカにも多く居住している。サンフランシスコ49ersの新人LB、サリーム・ラシードもその一人だ。

 名門アラバマ大で練習生期間を経ず、高校卒業直後から先発のポジションを得、3年の在学期間ながら同校歴代7位のタックル数を記録したラシード。11月から12月初旬にかけてのラマダン月には、練習中、試合中を問わず、栄養補給はおろか、水分を採ることさえできない。昨季も12月11日の対オーバーン大戦、第3Qが終わるまで、ラシードは何も口にすることができなかったが、それでも11タックルのパフォーマンスでチームの勝利に貢献している。

 今ドラフト3巡指名で49ersに入団したラシード。10月後半から太もものケガのため戦線を離脱していたが、第13週のシーホークス戦で久々に戦線に復帰、ラマダン月中の参戦に周囲の注目が集まった。この試合中、ラシードは再び癒えたばかりの太ももを痛めてしまったが、それでも水分補給も投薬も受けず、1試合を戦い抜いた。プレイ機会こそ限られていたものの、「あそこまで自己犠牲を厭わない姿勢は信じられない。与えられたチャンスで、良いプレイを見せていた」とスティーヴ・マリウーチヘッドコーチもラシードに賞賛を惜しまない。

 また、ラシードの活躍はフットボールのフィールド内にとどまらない。昨年9月11日の同時多発テロ以降、アメリカ国内ではイスラム教徒へのいわれなき偏見、迫害が懸念された。地元アラバマ州のスターアスリートであり、敬虔なイスラム教徒であるラシードは、イスラムの教えはテロリズムとは無関係であることを説いてまわっているという。

 再び痛めた太ももの回復具合が気になるところだが、ラマダン月も間もなく明けるシーズン終盤、ラシードの活躍がポストシーズンでの躍進を期す49ersにとって重要な意味を持つことは言うまでもない。
[2002年12月4日]

リッキーの活躍に笑うのは誰?
 
 第13週、RBリッキー・ウィリアムズのラン228ヤード、2TDの爆走ぶりにもかかわらず、同地区ライバルのビルズに21−38と痛い敗戦を喫し、プレイオフに向けムードも沈みがちのマイアミ・ドルフィンズ。しかしこの日、ウィリアムズの活躍に喜びを隠せないチームは他に存在した。彼の古巣、ニューオリンズ・セインツである。

 今年のオフシーズンの最大の話題となったウィリアムズのトレード劇。ドルフィンズにとって、長年の懸案であったエースRB不在の問題を解消でき、このトレードは大成功だった。セインツも、代償としてドルフィンズから1巡のドラフト指名権を得、さらに2年目を迎えた新鋭RBデュース・マカリスターが先発のポジションに座るや、第13週終了時点でNFCトップの1049ヤードを稼ぎ出していて、こちらも満足のいく結果を得ている。

 ここにきて、さらにセインツが喜んでいるのは、このトレードによってドルフィンズから譲渡されたドラフト指名権の内容がその理由となっている。今回のトレードでは、すでに触れた今年のドラフト1巡指名権の他、来年の3巡指名権もセインツに譲り渡すこととなっていた。が、この合意内容には条件がつけられており、今季ウィリアムズがランで1200ヤード以上を獲得した場合、来年の譲渡指名権は3巡から2巡へと繰り上がることとなっていたのだ。

 第13週の大活躍で、現在ウィリアムズのラン獲得距離は1284ヤード。上記のハードルは見事クリアあされたことになる。

 セインツの期待はまだまだ続く。もし今年ウィリアムズが1500ヤード以上を走れば、来年のドラフトでセインツが受け取れるドラフト権は、何と1巡指名権になってしまうのだ。今のペースでウィリアムズが走り続ければ、最終的に1712ヤードとなる計算。1500ヤード突破の可能性も濃厚な現状である。チームを躍進させるはずの大トレードが、逆にドルフィンズに打撃を与えることになってしまうかもしれない。
[2002年12月4日]

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