現地時間1月4〜5日の2日にわたって繰り広げられた今季NFLのプレイオフ1回戦。その主役の座に輝いたのは、遠回りの末にようやくNFLでの活躍の機会を得た、2人のQBだった。
クリーヴランド・ブラウンズ戦、第3Q途中の段階で7−24と大差をつけられ、窮地に陥ったピッツバーグ・スティーラーズ。しかしここからQBトミー・マドックスが驚異の追い上げ劇を演出し、3TDパスをマーク。最後は試合時間残り54秒でFBクリス・フアマトゥ=マアファラが逆転のTDランをあげ、プレイオフ2回戦進出を決めた。マドックスにとって、NFL入り後10年以上経って初めて味わったプレイオフ初勝利の美酒だった。
大学(UCLA)でのわずか2年間のプレイで、パス計5000ヤード以上を記録。その実績を引っさげ、92年ドラフト1巡でブロンコスに入団したマドックス。弱冠20歳の若者が成功を手にするには、NFLの世界はあまりにも厳しかった。プロ1年目こそジョン・エルウェイのバックアップとして4試合の先発を経験したが、以降プレイ機会はほとんどなく、ラムズ、ジャイアンツと渡り歩いてわずか4シーズンのプレイの後、NFLの舞台から追われるように姿を消した。
97年は、プロ入り当時のブロンコス指揮官ダン・リーヴス率いるファルコンズのサマーキャンプに参加したものの、シーズン開幕前に解雇。マドックスはフットボールから足を洗い、保険販売業を始めたのだった。
一度は諦めたプロフットボール選手としての夢。しかし、夢は簡単には捨てきれなかった。99年、自ら経営する保険会社を売却し、マドックスは2度目のフットボール人生がスタートさせた。会社を売り払って2日後、早速アリーナフットボールリーグのニュージャージー・レッドドッグスのスカウトからお呼びがかかった。年俸6万5000ドル(約780万円)の契約にサインしたマドックスは、新興の室内フットボールリーグに活躍の場を求めた。
アリーナでのマドックスの活躍は、2年以上に及ぶフットボールからのブランクをまったく感じさせないものだった。パス283回成功のリーグ新人記録を打ち立てるとともに、62個のTDパスをマーク。喫したインターセプトはわずか17個だった。
翌2001年には、人気プロレス団体WWF(現WWE)が立ち上げた新興プロフットボールリーグ『XFL』に参加したマドックス。アリーナで培った素速いパスリリースを生かし、マドックスは所属するロサンゼルス・エクストリームをリーグ優勝に導き、わずか1シーズンで消滅したXFLの最初で最後のリーグMVPに輝いた。
その活躍が認められ、01年夏、スティーラーズでNFL再挑戦のチャンスを得たマドックスだったが、立場はチーム4番目のQB。チーム残留の可能性は限りなく低い状況から、プレシーズンの活躍でエースQBコーデル・ステュワートのバックアップの座を手にし、ロースター定着を果たした。
復帰2年目の今季は、さらにマドックスにとってドラマティックな展開だった。第4週のブラウンズ戦、不調のステュワートに代わって交代出場したマドックスは、延長戦の末の勝利をチームにもたらし、2連敗スタートと苦しい開幕を迎えていたチームの救世主となった。翌週以降、先発QBの座に就くと、チーム史上最高のパス成功率(62.1%)の安定した活躍でチームのAFC北部地区優勝に貢献。そして今回のプレイオフでの大逆転劇と、まさに稀代のサクセスストーリーを体現して見せたのだ。
もう一人、プレイオフ1回戦のヒーローとなったのは、サンフランシスコ49ersのQBジェフ・ガルシア。第3Q途中までで14−38とニューヨーク・ジャイアンツに圧倒され、敗戦濃厚と思われた状況から2TDパス、1TDランをあげ、リーグ史上2番目の大逆転劇を成功させた。
ガルシアにとっても、この日がプレイオフでの初勝利。サンノゼ州立大卒業後、NFLチームからドラフト指名を受けられなかったガルシアは、マドックスがアリーナやXFLでプレイしたように、カナダに渡ってCFL(カナディアンフットボールリーグ)でプレイの機会を得た苦労人だ。今季を含め、過去3年連続でプロボウルに選出され、今やリーグ屈指のQBの一人としての地位を確立しているガルシア。ジョー・モンタナからスティーヴ・ヤングへと受け継がれてきた49ersのQBの『勝者の伝統』を継承する日も、さほど遠いことではないかもしれない。
NFLから「用無し」の烙印を押されていたマドックスやガルシアが、今や勝者として、リーグの表舞台で脚光を浴びている。チャド・ペニントン(ジェッツ)やトム・ブレイディ(ペイトリオッツ)ら若い世代のQBの台頭が目立つ一方で、もう一つのQBの潮流も今、最盛のときを迎えている。 |