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今週のプレイヤー、コーチトピックス


マドックス台頭の再現なるか、QBドラッケンミラーNFL復帰
 
 1月4日のプレイオフ1回戦でジェッツに敗れ、今シーズンを終えたコルツ。その看板選手と言えば不動のエースQBペイトン・マニングだが、今季も全試合先発を果たしたように、ケガなどで欠場することがないタフなQBであるため、控え選手の心配をする必要がない。現代NFLではQB3人体制が常識となっているが、コルツの場合、今季中盤以降はマニングと2番手ブロック・ヒュアードの2人だけしか選手登録していなかった。

 だからと言って、マニングがこのまま永遠に無傷でいられるとは限らない。逆に、もしマニングが負傷欠場となった場合、そうした場面を経験したことがないコルツにとっては致命傷となる可能性が高い。QB陣の選手層強化は、今オフのコルツの大事な課題の一つだった。

 そして1月23日、コルツは一人のQBと契約をした。その名は、ジム・ドラッケンミラー。かつてのサンフランシスコ49ersのドラフト1巡指名選手である。ドラッケンミラーがプロ入りした97年は稀に見るQB不作の年で、ドラフト1巡で指名を受けたのはドラッケンミラーのみ。この年のプロ入り組で唯一スターターとして活躍していたジェイク・プラマー(カーディナルズ)も退団濃厚で、不作どころか大凶作とすら言える年になってしまった。

 その不作の年に、49ersがドラッケンミラーを1巡指名した理由は、当時のエースQBスティーヴ・ヤングの後継者探しを急いでいたため。しかし、大型で動きの鈍いドラッケンミラーは49ersのショートパス中心のオフェンスに馴染めず、わずか2年の在籍でドルフィンズにトレードに出されてしまう。ドルフィンズでもプレイ機会はゼロで、1年後、2000年シーズン開幕直前に解雇の憂き目に遭う。

 以来、NFLの表舞台から遠ざかったドラッケンミラーだったが、01年、人気プロレス団体WWF(現WWE)が設立した新興リーグXFLでプレイのチャンスを得た。北米プロフットボール初の日本人選手、山田晋三選手と同じ、メンフィス・マニアックスに所属。実にNFL新人年の97年以来となる公式戦でのパスを放っている。

 XFLシーズン終了後、カンザスシティ・チーフスから誘われ、契約直前まで至ったが、結局チーフスは新指揮官ヴァーミールの古巣からトレント・グリーンをトレードで獲得。ドラッケンミラーのNFL復帰の夢はお預けとなってしまった。室内フットボール「アリーナフットボール」で短期間プレイするなどしながら、今回のコルツ入りまで2年近く待ったことになる。

 ドラッケンミラー入団に際し、コルツ社長ビル・ポリアンは「彼の能力はとても気に入った。QBに必要な身体的要素はすべて兼ね備えている。長身で、強肩の持ち主だ」と絶賛している。かなりお世辞が入っていそうなコメントだが、しかしチームが期待を寄せるのには、もう一つ理由がある。ドラッケンミラーとほぼ同じ境遇だった選手が、今季NFLで大ブレークを果たしているのだ。

 それは、言わずと知れたスティーラーズのトミー・マドックス。彼もドラフト1巡(92年)で指名され、大きな期待を担ってブロンコスに入団するが、こちらもわずか2年で放出。ラムズ、ジャイアンツをわたり歩き、わずかNFL在籍4年でプロフットボール界を去っている。転機は00年のアリーナ参戦。翌01年にはドラッケンミラー同様XFLに参加し、所属球団ロサンゼルス・エクストリームを優勝に導いている。その活躍が認められ、01年にスティーラーズ入りしたが、これも今回のドラッケンミラー同様、3番手QB候補として。それが翌年にはチームのエースQBへと台頭したのだ。

 ただ、押しも押されもせぬ大黒柱のマニングがいるコルツでは、マドックスのようなシンデレラストーリーは難しいだろう。それでも、他リーグでの経験を経て、昔とは違うプレイぶりを見せてくれることを期待したい。
 
■共通点見える? ドラッケンミラーとマドックス
選手名 アリーナおよびその他所属 成功 距離 TD INT
トミー・マドックス
(スティーラーズ)
ニュージャージー 00 490 283 57.8 3378 62 17
XFL・ロサンゼルス 01 342 196 57.3 2186 18 9
ジム・ドラッケンミラー
(コルツ)
XFL・メンフィス 01 200 109 54.5 1492 13 7
ロサンゼルス 01 13 5 38.5 82 2 1
 
[2003年1月27日]

ジャイアンツ新QBコーチ選びに見えた師弟の絆
 
 今季第9週より、攻撃のプレイコール権を剥奪され、オフシーズンの動向が注目されていたジャイアンツのショーン・ペイトン攻撃コーディネイター兼QBコーチ。結局、名将ビル・パーセルズが新指揮官に就任したカウボーイズにアシスタントヘッドコーチ兼QBコーチとして引き抜かれ、新天地で再スタートを切ることとなった。

 注目はそのペイトンが抜けた後任の人選だったが、ジャイアンツのジム・ファッセルヘッドコーチは1月22日、元パンサーズQBコーチのターク・ショーナートを新QBコーチに任命した。

 このショーナートとファッセルの関係は、切っても切れないものがある。運命の出会いは、1979年。ヘッドコーチ、ビル・ウォルシュがサンフランシスコ49ersの新指揮官に就任し、入れ替わるように、ファッセルが攻撃コーディネイターとして同大学のスタッフに加わる。そして、そのチームのエースQBがショーナートだった。

 ショーナートにとっては、過去2年間、ウォルシュより学んだウェストコースト攻撃でのトレーニングが花開く年、ファッセルにとっては、ウォルシュが築いた攻撃戦術を受け継ぎ、自らもウェストコースト攻撃の使い手として経験を積む、転機となった年であった。

 この2人の出会いは、最高の形で結実する。ショーナートはこの年、164.5のパスレイティングを記録。これは全米トップに君臨する数字であった。

 翌80年、ショーナートはNFL入りし、主にベンガルズで10年にわたるプロフットボール生活を送ることとなる。当時のベンガルズはQBケン・アンダーソンがウェストコースト攻撃を駆り、爆発的なオフェンスを実現していた。70年代、ベンガルズでは、スタンフォード大ヘッドコーチに就任する前のウォルシュが攻撃コーディネイターを務めており、アンダーソンもショーナートと同様、ウォルシュの弟子だったのだ。

 ショーナートはアンダーソンの、後にブーマー・アサイアソンのバックアップとして、ベンガルズに所属した9年間でパス成功率61.7・(球団記録) 2756・ 7TD(12インターセプト)の数字をマークしている。

 奇しくも、今回ファッセルが空席のQBコーチ候補として面接を行ったのは、ショーナートとベンガルズQBコーチの任にあったアンダーソンの2人だった。ショーナート招聘について、ファッセルは「彼は私と同じ戦術を学んで育ってきた人間。つまり、ビル・ウォルシュの戦術だ」と語っているが、自らの片腕として、新QBコーチは何としてもウォルシュ門下生から引き抜きたかった意志の現れだろう。

 結局、ファッセルは自身の教え子でもあるショーナートを選んだ(アンダーソンはジャグワーズの同職に就任)。ショーナートは前職のパンサーズQBコーチの任を01年シーズン終了後に去り、今季は12歳の息子のフットボールチームのコーチをしていたという。1年間のブランクを差し置いても、気心の知れた師弟関係を重視したということだろうか。
[2003年1月27日]

名将ウォルシュ、コーチ業に復帰か?
 
 ジャイアンツのQBコーチ人選にも表れている通り、いまだNFL全体に大きな影響力を保持しているビル・ウォルシュ。現在は2001年春まで務めた49ersジェネラルマネジャー(GM)の任を辞し、同チームのコンサルタントの職にある。

 その49ersと言えば、今季終了後に6年間チームを指揮したスティーヴ・マリウーチヘッドコーチを解任。指揮官職が空席となっている、NFLで唯一のチームとなっている。急遽、テリー・ドナヒューGMは後任候補として、自軍のジム・モーラ守備コーディネイター、イーグルスのブラッド・チルドレス攻撃コーディネイター、ジェッツのテッド・コトレル守備コーディネイター、ペイトリオッツのロミオ・クレネル守備コーディネイターらと面接を繰り返している。

 プロボウル開催日(2月2日)までには後任は決定させる、というのが49ers側の意向。しかし、いっこうに有力と思われる人物が浮かび上がってくる気配はない。そんな中、79年から88年までヘッドコーチとして49ersの指揮を執り、3度のスーパーボウル優勝を成し遂げている名将ウォルシュの現場復帰の噂が流れはじめた。

 元49ersのQBスティーヴ・ヤングなどは、「もし誰も適任者がいなければ、ビルが立候補することはあり得るよ。もし今、適任の人物がいなくても、1年後に見つけられるというのなら、ビルがその間を埋めてくれるかもしれない。そうなっても驚かないよ」とまで言っている。

 現在71歳のウォルシュ。この噂に答えて、こう語った。「本当のことを言おう。2007年、2008年、いや2010年になら、私の現場復帰の可能性は十分にある。そのときは(現在72歳の)ジョン・マクヴェイ(49ersフットボール担当重役、元ジャイアンツヘッドコーチ)がスペシャルチームコーチになる」。

 早とちりしないでほしい。2010年にはウォルシュは78歳、マクヴェイは79歳。「コーチはもうやらないよ」というジョークなのだ。続けて言う。「ただし、年俸は1200万・(約14億4000万円)だ。それならやってやる」。ちなみに、現在のNFLのヘッドコーチの最高年俸は、レッドスキンズのスティーヴ・スパリアーの500万・(約6億円)である。

 マリウーチ解任劇にはまったく関与していない、と固く主張するウォルシュ。後任探しも、ドナヒューGMが指揮を執っていると強調する。しかし、いまだウォルシュの存在は49ersの組織の中で別格だというのは誰もが認める事実。自軍の指揮官選びに、ウォルシュはどのような影響力を発揮するのだろうか。
[2003年1月27日]

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