Thu, 08/28/2003 11:36 am UPDATE
2004シーズン NFLとは NFLヨーロッパ NFLイベント NFLフラッグフットボール サイトマップ
NFLビギナー NFLマニア NFLエンタメ コミュニティレポート NFL JAPAN チアリーダー
   NFL JAPAN top page>NFLマニア>今週のプレイヤー、コーチトピックス
NFLマニア
シーズン関連トピックス
チーム関連トピックス
今週のプレイヤー、コーチトピックス
フランチャイズ物語
NFL戦略アナライシス
ビジネストピックス
コラム
NFL Report Japan

今週のプレイヤー、コーチトピックス


日陰からスターダムへ FA史上に打って出る無名QB
 
 4試合に出場(先発出場なし)、パス10回中8回成功、113ヤード獲得、TDなし、インターセプトなし。ニューオリンズ・セインツの2番手QB、ジェイク・デロームの02年度シーズンの成績である。あまりにも目立たない数字だが、そのデロームが、2月末に解禁となる今年のフリーエージェント市場の目玉の一人となると見られているのだ。

 97年にドラフト外でセインツ入りしたデローム。地元ルイジアナ州の南西ルイジアナ大出身とあり、ファンには人気の選手である。その年は主に練習生として過ごし、98年春にNFL欧州リーグのアムステルダム・アドミラルズに派遣される。翌99年にはフランクフルト・ギャラクシーに所属を移して経験を積み、その年の秋にはQB陣の安定しないセインツで終盤2試合のスターターに抜擢され、パス成功率55.3%、521ヤード(3TD、5インターセプト)をマークしている。

 その後の飛躍が期待されたデロームだったが、セインツは翌2000年、新エースQB候補として前ベンガルズのジェフ・ブレイクを獲得。シーズン終盤にブレイクが負傷で戦線離脱すると、今度はパッカーズからトレード加入の新星アーロン・ブルックスが急台頭し、チームを一躍地区優勝に導いた。そんな中、デロームはチーム3人目のQBとしてプレイ機会を見出せず、00、01年とまったくフィールドに立つことができなかった。

 そんなデロームに、02年シーズン第13週、突如出番が訪れた。NFC南部地区首位をひた走るタンパベイ・バッカニアーズを本拠地に迎えた重要な同地区決戦、セインツは終始優位に試合を進めるが、第4Q終盤、バッカニアーズが怒濤の追い上げを見せ、23−20と3点差まで迫られる。試合時間は残り2分余り。エースQBのブルックスは、この試合でバッカニアーズの強力守備に4サックを浴び、利き腕を負傷してサイドラインに下がっている。急遽戦線に投入されたデロームは、自陣18ヤード地点で第3ダウン、残り8ヤードの正念場を迎えた。

 サイドラインから送られたプレイコールは、バッカニアーズ守備の対応に応じてランかパスかの選択権をデロームに与えるもの。緊張が高まるこの場面で、デロームはWRジョー・ホーンに対し、敵CBブライアン・ケリーが内側をフリーにしていることを冷静に把握し、ホーンへのスラントのパスを選択した。この判断はズバリ的中し、セインツはこのプレイで10ヤードを獲得、ダウンを更新し、残り時間を使い切って強豪バッカニアーズから勝利をもぎ取ったのだ。

 続く第14週でもケガを抱えるブルックスの後を受け、パス8回中7回成功、103ヤードを獲得したデローム。限られた出場機会の中で、そのリーダーシップと冷静な判断力は、リーグ内で高い評価を集めるに至っている。実は昨年オフにも、制限つきながらフリーエージェントだったデロームにパッカーズとチーフスから声がかかっている。しかし、完全フリーエージェントとなる今季、デロームが狙っているのは、NFLでのスターターの座だ。すでに、カウボーイズ、ベアーズ、パンサーズ、カーディナルズが触手を伸ばすと見られている。

 「ニューオリンズはとても居心地がいい。でもスターターになれるなら、移籍することはいっこうに構わない。妻も賛成してくれている」と語るデローム。セインツでの6年間の下積みを経て、28歳の無名QBがリーグのスターダムに挑戦する。

■ジェイク・デローム 通算成績
1998春 NFL欧州アムステルダム パス47回中15回成功(成功率31.9%) 247ヤード 0TD 4INT レイティング15.1
1999春 NFL欧州フランクフルト パス202回中136回成功(成功率67.3%) 1410ヤード 12TD 5INT レイティング96.8
1999 セインツ パス76回中42回成功(成功率55.3%) 521ヤード 3TD 5INT レイティング62.4
2000 セインツ 出場なし
2001 セインツ 出場なし
2002 セインツ パス10回中 8回成功(成功率80%) 113ヤード 0TD 0INT レイティング113.8
 
[2003年2月10日]

ジャイアンツの悩める巨漢RBがトレード志願
 
 ジャイアンツは90年のロドニー・ハンプトン以降、ドラフト1巡で4人のRBを指名している。ハンプトンは90年代半ばまでチームのエースRBに君臨したが、91年1巡指名のジャロッド・バンチはわずか3年、95年1巡指名のタイロン・ウィトリー(現レイダース)はわずか4年でジャイアンツを後にしている。そして、2000年にドラフト1巡でジャイアンツ入りしたロン・デインも、彼ら2人と同じ道を歩むかもしれない。

 ハンプトン引退後、ジャイアンツはラン攻撃の軸が不在となり、98、99年と2年連続でプレイオフ進出を逃している。99年シーズンの個人ラン成績はジョー・モンゴメリーの348ヤードが最高という惨状であった。この危機を救うべく、鳴り物入りで入団してきたのが、大学4年間通算でラン7125ヤード獲得のNCAA記録を打ち立て、大学最優秀選手に贈られるハイズマン賞を手にしていたデインだったのだ。

 新人年の2000年度シーズン、ジャイアンツはデインとティキ・バーバーの「サンダー&ライトニング」と称されたRBコンビを軸に、スーパーボウル進出を果たすのだが、デインにとっての不幸は、自身のデビューの年が、バーバーの台頭の年と重なってしまったことだ。バーバーは新人の97年こそ6試合に先発し511ヤードを走ったが、その後は第3ダウンでのパスレシーブ要員としての起用が主で、エースRBとなり得る存在とは見られていなかった。それが2000年になり、いきなりラン1006ヤード、8TDの活躍で、NFLのトップRBの仲間入りをしたのだ。

 デインにも、チャンスを生かし切れない弱点があった。身長178cm、体重115kgの重量が売りのパワーRBでありながら、タックルに弱くセカンド・エフォート(タックルされた後の前進)ができない。ラン1回あたりの獲得距離は、大学時代の約半分にまで落ち込んだ。またレシーブの不得意さも露呈し、プロ入り後の3シーズンでわずか22回のキャッチ数に留まっている。1シーズン平均59回のレシーブを記録している万能型RBのバーバーに比べ、起用法が非常に限られてしまうのだ。

 こうしてバーバーがプロのRBとして上昇を続ける一方で、デインのプレイ機会は年々減少し、ラン獲得距離は1年目の770ヤードから、02年シーズンは428ヤードにまで下降した。この結果に、ついにデインの不満が爆発してしまった。

 「ベンチに座ってサイドラインから試合を見るのはもうたくさんだ。俺はそもそも大学界トップの選手として入団したんだ。当然、俺だって十分走れる。本当のところ、フットボールが嫌いになり始めている。プレイさせてもらえないなら、このチームにはもういたくない」。

 デインが入団時に結んだ現契約は2004年まで。今季の年俸は61万6000ドル(約7400万円)と、バックアップのRBとしても非常に「お得」。現時点でチーム首脳陣にデインを放出する気はない。ジャイアンツのGMアーニー・アコーシは「我々にとってベストの条件でなければトレードはしない」と語っている。2月28日のトレード解禁日以降、「ジャイアンツにとってベストの条件」を提示してくるチームはあるのだろうか。デインの望みが叶うかどうか、しばし注目だ。

■ロン・デイン 通算成績(大学以降)
1996 ウィスコンシン大1年 ラン325回 2109ヤード(1回平均6.5ヤード) 21TD
1997 ウィスコンシン大2年 ラン263回 1457ヤード(1回平均5.5ヤード) 15TD
1998 ウィスコンシン大3年 ラン295回 1525ヤード(1回平均5.2ヤード) 15TD
1999 ウィスコンシン大4年 ラン337回 2034ヤード(1回平均6.0ヤード) 20TD
2000 ジャイアンツ ラン228回 770ヤード(1回平均3.4ヤード) 5TD
2001 ジャイアンツ ラン180回 690ヤード(1回平均3.8ヤード) 7TD
2002 ジャイアンツ ラン125回 428ヤード(1回平均3.4ヤード) 3TD
[2003年2月10日]

「ヘッドコーチへの登竜門」パッカーズQBコーチ職復活
 

 グリーンベイ・パッカーズのQBコーチ職と言えば、NFLにおいて、有能な若手コーチのヘッドコーチの座への登竜門的な存在である。マイク・ホルムグレン(現シーホークスヘッドコーチ)が92年に指揮権を手にして以来、3人のQBコーチ(スティーヴ・マリウーチ、マーティ・モーニンウェグ、アンディ・リード)が次々NFLでヘッドコーチ職を手にしている。

 モーニンウェグこそ今オフにライオンズから解任されたが、その後任となったマリウーチは49ersでの過去6シーズンで4度のプレイオフ出場を果たし、リードもイーグルスでの就任1年目こそチーム再建期にあって5勝11敗と苦しんだが、若きエースQBドノヴァン・マクナブの台頭と歩調を合わせるように、以後2年連続11勝5敗でプレイオフ進出、02年度は12勝4敗で前年に引き続きNFC決勝にチームを導き、見事リーグの最優秀ヘッドコーチに選ばれる栄誉に輝いている。

 リードが99年にイーグルスに引き抜かれた後を受けたマイク・マッカーシーも2000年よりセインツの攻撃コーディネイターの任にあり、リーグトップの若手オフェンスコーチの一人として、毎年のようにオフにはヘッドコーチ候補として名のあがる存在だ。

 しかし、現ヘッドコーチのマイク・シャーマンが着任した2000年以来、パッカーズにはQBコーチがおかれていなかった。今やNFLを代表するQBとしての地位を確立したブレット・ファーヴには、相談役や家庭教師役の任は必要なくなったということなのかもしれない。しかし、現攻撃コーディネイターのトム・ロスリーは毎ゲームのプラン作りに追われる一方で、ファーヴとの日々のコミュニケーションが欠けてきてもいた。

 そのパッカーズのQBコーチ職が、2003年、復活した。就任したのは、過去3年間チームの攻撃アシスタントとして下積みを積んできたダレル・ベヴェル、弱冠33歳の若手コーチである。「3年前、彼をスタッフに加えたときに考えていたことは、3年間経験を積ませて、QBコーチに昇格させようということだ。その計画通り、彼はオフェンスとQBに関して素晴らしい仕事をしてきてくれた」と、今回のQBコーチ職復活の背景をシャーマンヘッドコーチは明かす。

 ベヴェルはファーヴとまったく同い年。ベヴェル自身もウィスコンシン大学時代は4年間先発QBを務め、チームを94年正月のローズボウル勝利に導いている。同校はそれまで30年以上ローズボウルの晴れ舞台から遠ざかっており、まさにパッカーズの地元、ウィスコンシン州の英雄的存在だった。ファーヴとは逆に、大学卒業後すぐにコーチを志したベヴェル。プレイヤーとコーチ、異なる立場から2人3脚で新シーズンを戦っていくこととなる。

 また、パッカーズとしても、そろそろファーヴ後のQBのポジションを考える時期が来ている。4月のドラフトではフロリダ大のレックス・グロースマンをファーヴの後継者として指名するとの噂も取り沙汰してきており、ポスト・ファーヴのチームを睨んだうえでの今回のQBコーチ職復活とも言えそうだ。

■グリーンベイ・パッカーズ QBコーチの系譜
スティーヴ・マリウーチ 1992〜95 就任時の年齢=36歳 前49ersヘッドコーチ(通算成績57勝39敗)、現ライオンズヘッドコーチ
マーティ・モーニンウェグ 1996 就任時の年齢=34歳 前ライオンズヘッドコーチ(通算成績5勝27敗)
アンディ・リード 1997〜98 就任時の年齢=39歳 現イーグルスヘッドコーチ(通算成績39勝25敗)、02年度リーグ最優秀コーチ
マイク・マッカーシー 1999 就任時の年齢=35歳 現セインツ攻撃コーディネイター
ダレル・ベヴェル 2003〜 就任時の年齢=33歳 前パッカーズ攻撃アシスタント(2000〜)

[2003年2月10日]

back number
「2003年7月30日号」

「2003年7月23日号」

「2003年7月10日号」
「2003年7月7日号」
「2003年7月1日号」
「2003年6月23日号」
「2003年6月12日号」
「2003年6月4日号」
「2003年5月28日号」
「2003年5月22日号」
「2003年5月14日号」
「2003年5月6日号」
「2003年5月1日号」

「2003年4月25日号」

「2003年4月16日号」
「2003年4月11日号」
「2003年4月2日号」
「2003年3月26日号」
「2003年3月20日号」
「2003年3月18日号」
「2003年3月14日号」
「2003年3月11日号」
「2003年3月6日号」
「2003年2月25日号」
「2003年2月10日号」
「2003年2月4日号」
「2003年1月27日号」
「2003年1月16日号」
「2003年1月9日号」
「2002年12月25日号」
「2002年12月20日号」
「2002年12月12日号」
「2002年12月4日号」
「2002年11月28日号」
「2002年11月21日号」
「2002年11月13日号」
「2002年11月7日号」
「2002年10月29日号」
「2002年7月26日号」
「2002年7月15日号」
「2002年6月26日号」
「2002年6月20日号」
「2002年6月3日号」

▲戻る