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今週のプレイヤー、コーチトピックス


LB、ニッカーソン引退
 
16年のNFLキャリアにピリオドを打ったハーディ・ニッカーソン(右)
 去る2003年1月26日、タンパベイ・バッカニアーズは悲願のスーパーボウル初優勝を飾った。その最大の立役者とされたのが、リーグ最強と謳われたディフェンス陣だった。DTウォーレン・サップ、LBデリック・ブルックス、SSジョン・リンチ、そうそうたるスターたちが、フィールド狭しと大暴れした。しかし、その鉄壁守備の構築には、彼らの他に一人、忘れてはならない選手がいる。その選手の姿は、サンディエゴのクワルコム・スタジアムのフィールド上にはなかったけれども。
 ハーディ・ニッカーソン。過去16年、リーグ屈指のミドルLBとしてNFLに君臨してきた。プロ入りは1987年のドラフト5巡、ピッツバーグ・スティーラーズの指名だった。スティーラーズには6年間在籍。ちょうど名将チャック・ノール政権の晩年にあたり、チームは転換期でリーグ中下位に低迷していた時期で、さほど目立つ選手という印象はなかった。
 転機は93年。NFLにフリーエージェント制度が導入された初年度である。リーグ随一の弱小球団だったバッカニアーズは、チーム再建を図るべく、同制度を活用、ニッカーソンに白羽の矢を立て、3年契約を結んだ。「スティーラーズでニッカーソンが活躍できたのはグレッグ・ロイドら他にスター選手がいるからで、プロボウルに1度も選ばれたことのないニッカーソンにお金を払いすぎ」との酷評も、移籍1年目で214タックルの球団記録を打ち立てるとともに、初のプロボウル選出で見事に払拭した。
 その後の活躍は、広く知られている通り。95年のサップ、ブルックス入団、96年のトニー・ダンジーのヘッドコーチ就任を経て、バッカニアーズはリーグ屈指のディフェンスを作り上げていく。ニッカーソンも中心選手の一人として、96年から3年連続でプロボウルに出場する活躍ぶりだった。
 99年シーズン終了後、再度フリーエージェントとなったニッカーソンは、ジャクソンヴィル・ジャガーズへ移籍。2年間の所属の後、38歳を迎えた昨季はグリーンベイ・パッカーズでプレイした。チームはプレイオフ1回戦でアトランタ・ファルコンズにまさかの敗戦。ニッカーソンのプロ16年目のシーズンは終了した。
 そして、ニッカーソンの華々しきプロ生活もまた、終幕を迎えた。長女アシュリー、双子の息子たちハーディとヘイリーらとより多くの時間を過ごすため、法律学校に進んだり、また事業を興したりと第2の人生を模索するため、現役生活にピリオドを打つことを選択したのだ。「昨年、プレイオフで負けたときは「しばらく休んで、回復具合を見てみようか」って気持ちだった。結局、今になっても100%は傷は癒えなかった。もちろんフィールドを去るのは寂しいけど、他にも俺にはやるべきことが山ほどあると思うしね。本当だよ」。
 一方で、ニッカーソンが育て上げたと言っても過言ではないバッカニアーズのディフェンス陣は、スーパーボウルの舞台でオークランド・レイダース自慢のオフェンスを完膚なきまでに粉砕し、勝利の美酒を味わっていた。しかしニッカーソンの教え子たちは、彼がすでにバッカニアーズの一員でなくなっても、その存在の大きさを忘れてはいなかった。「プレイだけじゃなく、それ以外の面でもこのチームにとって、彼の存在はとても大きい。発展途上の若いチームで、彼は不動のリーダーだったんだ」とブルックスは語る。
 93年、ニッカーソンがバッカニアーズに移籍したと同じ年にドラフト指名を受けプロ入りしたリンチは振り返る。「93年に入団したとき、彼はいかにしてプロたるかを周りの皆に示す存在だった。僕やデリック(ブルックス)に、どうやってプレイするのかを教えてくれた。そしてオフシーズン、シーズン中と摂生に努めれば、長いことプレイし続けることができることを証明したんだ」。
 ニッカーソンは、ブルックスやリンチら後輩たちがスーパーボウル制覇を果たすのを見届けてから、引退を決断したように見える。バッカニアーズをリーグのどん底から引き上げたニッカーソンにとって、その光景は何よりも心を揺さぶるものだっただろう。バッカニアーズで過ごした7年間は、その年月を超え、ニッカーソンとバッカニアーズにとって大きな意味を持っていた。後世、バッカニアーズの第37回スーパーボウル優勝が語られるとき、その礎を築いた人物として、ニッカーソンの名も必ず語られることになるはずだ。
[2003年6月23日]

サッカー選手がNFLに殴り込み?
 
ドルフィンズのキャンプに参加するイングランド代表GKデイヴィッド・ジェイムズ
 マイアミ・ドルフィンズのミニキャンプに、一風変わった参加者が加わることになった。デイヴィッド・ジェイムズ、サッカーのイングランド代表で16試合の出場経験を持つゴールキーパーである。6月24日にドルフィンズに合流、もう一つの「フットボール」に触れることになる。
 現在ウェストハム所属のジェイムズは、97年に初代表入り。試合出場機会はこれまでさほど多くなく、2002年の日韓共催ワールドカップにも同行したものの、プレイすることはなかった。しかしここにきてデイヴィッド・シーマンから代表の正ゴールキーパーの座を奪い、さらなる成長の場を求めてこの度、NFLのチームに参加することになった。
 「アメリカンフットボールは体調管理やプレイの面で、一歩先を行っている存在。どんな小さなことでも、サッカー選手としての自分のキャリアに参考になることがあれば、学んで帰ってきたい」と抱負を語るジェイムズ。ドルフィンズではチームスタッフから総合的な体力チェックを受けるとともに、QB、WR、キッカーの3ポジションの指導を受けることとなる。
 「デイヴィッドはフィールドの端から端まで蹴るキック力を持っているし、正確に強い球を45メートル以上投げることができる。196センチの長身だが、体脂肪率は8%程度ときわめて低い。抜群の瞬発力からジャンプすることもできる。アスリートとしてアメリカでもその名を知られる良いチャンスだと思う」とウェストハムのスポーツ科学コンサルタント、アラン・ピアソン氏は語る。
 サッカーからのNFL挑戦としては、最も有名なのが94年のワールドカップのアメリカ代表ゴールキーパー、トニー・メオラのニューヨーク・ジェッツのトレーニングキャンプ参加だろう。メオラはシーズン開幕直前までジェッツでポジション争いをしたものの、ロースターの最終絞り込みで解雇され、NFL挑戦の夢は破れている。
 一方で、オーストラリアンフットボール出身者で名を知られているのがサンディエゴ・チャージャーズのパンター、ダレン・ベネット。94年に渡米しチャージャーズと契約、翌95年にNFL欧州リーグのアムステルダム・アドミラルズに派遣され、アメリカンフットボールのパンターとしての経験を積んだ。同年秋、NFLデビューを果たすや、いきなり1回平均44.7ヤードの好記録を残したばかりか、プロボウル選出まで受けるサクセスストーリーを実現させている。2000年にも自身2度のプロボウル出場を果たしたベネット。今やリーグを代表するパンターへと成長を遂げている。
 今回のジェイムズの場合、母国イングランドのトッププレイヤーということもあり、あくまで「留学」の域は出ないだろう。しかし今後ヨーロッパのサッカー界からのNFL参戦が相次げば、アメリカンフットボールのキッキングゲームに大革命が起きるかもしれない。
[2003年6月23日]

ヨーロッパに賭けた復活
 
NFLEL2003シーズンにブレイクしたWRマシュー・ハチェット
 マシュー・ハチェットが1997年のドラフト7巡でミネソタ・ヴァイキングスに入団したとき、チームにはクリス・カーターとジェイク・リードというリーグを代表するベテランWRコンビが在籍していた。無名校のラングストン大出身こともあって、ハチェットが注目されることはまったくなかった。
 そんな中でも、ルーキーシーズンの初戦から全試合出場を果たす一方、数少ないプレイ機会の中で3回のパスレシーブを記録、「将来有望なヴァイキングスの3番手レシーバー」としてテレビのコメンテイターに評されるまでになった。身長191センチ、体重95キロの恵まれた体躯を持ち、まさしくカーター、リードの跡を継ぐにふさわしい大型ワイドアウトだった。
 しかし翌98年のドラフト1巡で、あのランディ・モスが入団してきた。長身と抜群の俊足、跳躍力を兼ね備えるスターレシーバーの登場に、ハチェットはチーム4番目のWRの座に甘んじることを余儀なくされる。2000年にリードがニューオリンズ・セインツに移籍し、再び3番手レシーバーに昇格するも、カーターとモスのWRコンビの陰では目立った数字をあげることもかなわず、プロ初先発(4試合)、自身最高の数字(16レシーブ、190ヤード獲得、2TD)もとうてい満足できないものだった。
 こうしてヴァイキングスで4年間下積みを過ごしたハチェットは、さらなる活躍の機会を求め、フリーエージェントで01年、ニューヨーク・ジェッツに移籍する。前年にエースWRのキーショーン・ジョンソンをトレードでタンパベイ・バッカニアーズに放出していたジェッツにとって、待望の長身WRとなるはずだった。
 しかし蓋を開けてみると、ラヴァーニアス・コールズとウェイン・クレベットの先発コンビの一角を崩すどころか、新人年にも及ばないわずか2捕球、44ヤードという屈辱のシーズンを送ってしまった。シーズン終了後、わずか1年の在籍でジェッツから解雇され、レイダースに拾われたものの、シーズン開幕前に放出の憂き目に遭う。結局昨季はどのチームにも所属せず、まったくプレイすることのないまま終えることとなった。
 今年5月には29歳となる。プロフットボール選手として崖っぷちに立たされたハチェットは、最後の望みをヨーロッパの地に託した。NFLチームからの派遣選手としてではなく、フリーエージェントとしてNFL欧州リーグに参戦したハチェットは、アムステルダム・アドミラルズに所属し、その格の違いをまざまざと見せつけた。
 ヨーロッパでハチェットが残した数字はパスレシーブ61回、790ヤード(7TD)。回数、獲得距離の双方でリーグ1位の成績をマークした。レシーブ回数のリーグ2位の選手の数字が45回、レシーブ距離のリーグ2位の数字が678ヤードだったから、ハチェットがNFL欧州リーグでいかに傑出した存在かがわかる。ヨーロッパレベルであれば、まさにハチェットは無敵の存在だった。そして、2000年以来、久々に本格的にプレイする機会を得た、という意味でも今回の参戦は大きかった。
 このハチェットの活躍に、欧州リーグ終了前から古巣ヴァイキングスに復帰し、トレーニングキャンプに参加する見込みだ、と地元ミネソタ州ミネアポリスのスタートリビューン紙が報じるなどしていた。しかしヴァイキングスには因縁のモスの他、ドゥウェイン・ベイツ、デリック・アレギザンダーと3番手までWRのポジションは確定してしまっている状態。ヴァイキングスに戻っても、4番手、5番手の座を争う立場に過ぎず、これではかつてヴァイキングスに所属していた頃の不遇な状況に逆戻りするだけだ。
 ヨーロッパから帰国したハチェットは、ヴァイキングスに伝えた。「俺はジャクソンヴィルと契約する。契約合意は間もなくだ」と。ハチェットにとっては、過去との再度の決別だった。
 ヴァイキングスとは対照的に、ジャクソンヴィル・ジャガーズのWRのポジションは、エースのジミー・スミス以外はまったく不透明な情勢だ。昨季もっぱら2番手の座を担ったボビー・ショーはバッファロー・ビルズへ移籍。ジャガーズは代役探しを積極的に行い、ドナルド・ヘイズ(前ペイトリオッツ)、JJ・ストークス(前49ers)らを獲得している。しかしヘイズもストークスも、NFLでの先発経験こそあるが、昨季は前所属チームの期待を裏切る結果に終わっており、いずれもスターターの座を確約できる存在ではない。少しでも多くプレイの機会が欲しいハチェットにとっては、逆にこれ以上ない好条件のチームなのだ。
 ハチェットの巻き返しは果たして成功するのか。ジャガーズのトレーニングキャンプは要注目だ。

[2003年6月23日]


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