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今週のプレイヤー、コーチトピックス


エミット、RBの頂点に
 

▲NFL歴代1位のラッシング・ヤードを獲得したダラス・カウボーイズRBエミット・スミス
 1990年にNFL入りしたエミット・スミスは、生涯獲得ラッシング・ヤードを含む、達成し得るあらゆる目標を設定した。
 
スーパーボウル制覇、5回のラッシング・タイトル、TD記録、MVPといったスミスの記録の山もこれでついに完結した。

 スミスは10月27日、今シーズン最多の109ヤード走り、生涯獲得ラッシング・ヤードを16,743とし、かつてのシカゴ・ベアーズの偉大なRBウォルター・ペイトンが18年前に作った記録(16,726ヤード)を塗り替えNFL歴代RBの新たな王者となったのだ。

 歴史的瞬間は第4Qの5分50秒に起きた。新記録まであと10ヤードと迫ったスミスは、ハンドオフを受けると左サイドに走り、最後は手を伸ばしながら倒れ11ヤードを獲得した。

 「なんて言っていいのかわからない。」試合後の記者会見の冒頭でスミスは話した。「今日は特別な日だ。たくさんの理由でとても特別な日である。もちろん、個人的にうれしい。しかし、今日達成された個人記録を考えてみると、自分ばかりに満足していられるものではない。たくさんの人たちがその過程で、私に力を与えてくれた。そこが、私がこのスポーツを愛する理由だ。このスポーツはチームスポーツであり、チームメイトの支えが無ければ何もできない。」

 スミスにとって残念だったのは、究極のチームプレーヤーである彼がこの記録を最高のゴールである勝利で飾れなかったことだ。この試合カウボーイズは、シーホークスに17対14で敗戦した。

 しかし、敗戦は苦いものとなったが、新記録まで93ヤードを必要そして試合に臨んだ33歳のスミスは、テキサス・スタジアムに詰め掛けた地元ファンの前でこの記録を達成しようと、情熱と覚悟を持って走った。


▲新記録を達成した瞬間
 「この記録を我々のファンと共有することが非常に重要だった。地元のファンにこの記録を見て欲しかったし、彼らはこの記録の1部でもある。64,000もの人たちが来てくれて私を応援してくれた。そして彼らが家に帰り、私と同じように残りの人生の中でこの記録を覚えていてくれると考えるだけで、地元で記録を達成したことは特別な意味を持つ。」

 サイドラインではスミスの家族とともに、ペイトンの母アリーン、兄のエディら、1999年に腎臓障害で亡くなったペイトンの家族もスミスの記録達成を見守った。試合後、フィールド上で行われたセレモニーでは、自らも1970年代にライオンズでRBとしてプレーしたエディは、ペイトン家もスミスの記録を何よりも祝福していると語った。

 「この記録はみなさんが感じているのと同じくらい、私たちの家族にとっても意味がある。」エディ・ペイトンは、試合後もスタンドに残ったファンに向かって話した。「我々はエミットがこの記録を破ったことを名誉に思う。この記録に値する選手は彼以外いない。我々は彼を誇りに思う。エミットはフットボールというものを、フットボールがプレーされるべく姿勢でプレーしている。彼は毎年、全てのプレーに全力を尽くしてきた。それはまさにウォルターのプレースタイルだった。今日は彼にとっても、我々にとっても素晴らしい日となった。」

 この日はファンにとっても素晴らしい1日となった。チームは敗れたが、詰め掛けた63,854人は試合後も約4分の3が試合後もセレモニーを見守った。セレモニーではスミスが壇上に上がる前に、かつてのチームメイト、マイケル・アーヴィンやダリル・ジョンストンがファンに向かって話した。

 ペイトンの未亡人コニーからのお祝いのビデオメッセージが流された後、ファンに対して長年のサポートと、日曜日の試合のサポートへの感謝の念を語ったスミスは、オーナーのジェリー・ジョーンズがスミスの新記録記念のバナーを紹介すると、涙をこらえきれなくなった。

 しかし、スミスが日曜日に流した涙はこれが最初でもなければ、最後でもなかった。


▲チームメイトに祝福されるスミス
 記録を決めたプレーについてスミスは、「あと何ヤード必要かはよくわかっていた。ジャンボトロンには何度も何度も出ていたし、カウントダウンに入っていたからね。スクリメージ・ラインを超えた瞬間に、このプレーしかないと思った。」と話した。

 記録を更新すると、スミスは両手を突き上げ50ヤードラインの方へ走っていった。FBロバート・トーマスに抱え上げられ、オフィシャルから記念のボールを渡された。試合は数分間中断され、スミスはファンの声援にこたえ、サイドラインで母親を抱きしめると感極まり涙を流した。

 「あの時は本当に力が抜けた。何を考えていたかは思い出せない。全てが一瞬のうち終わってしまった。ただわかっていたのは、ずっと待ち続けていた瞬間がついにやってきたということだった。その瞬間は本当に特別だった。どう表現していいのかわからない。」

 しかし、その後も試合は続き、スミスは気分を落ち着けると試合を同点にすべく攻撃を続けた。スミスは次のプレーではヤードをロスしたが、ペイトンの記録は1ヤード上回っていた。次にボールを持ったときには14ヤードを獲得。最後は1ヤードのTDランでこのドライヴを飾り、試合も14対14の同点となった。しかしその後、シーホークスが決勝のFGを決めカウボーイズの勝利はならなかった。

 「ケーキが目の前にあるんだけど食べれなかった気分だね。全てが理想どおりにはいかないものだ。この試合には勝ちたかった。チームとしての目標も勝利にある。」

 チームの目標は達成できなかったが、スミスは自らに定めた目標全てを達成した。

 「1990年にNFLに入ったとき、エミットはいろんな目標があると言っていた。」アーヴィンはファンに向かってスピーチした。「彼はスーパーボウルの勝利に貢献したいと言って、実現した。リーグMVPになると言ってそれも実現した。そして、NFLで歴代1位のラッシャーになりたいと言い、今日それを実現した。」


▲ファンの声援にこたえるスミス
 数字の上からすると、スミスはNFL史上最高のRBになった。しかし、自分が史上最高のRBかと聞かれたスミスは、そのような比較はあまり意味が無いと考えているようだ。その中の1人として考えられているだけで、スミスは満足している。

 「自分がNFL史上最高のRBだと言うのは、他の素晴らしいRBの能力を考えると不公平だ。どうして自分が1番だとか、他の誰かが1番だなんて言える?記録上は私が1番だ。間違いなく最も優れたRBの1人だとも思う。しかし、私が史上最も優れたRBかと言われると、いろいろな要素も絡んでくるし、誰もがみんな違った意見を持っていると思う。誰もが他のプレーヤーに負けない何かを持っているし、他のプレーヤーよりもうまくやれるところも持っているからね。」

 ラッシング・ヤードを積み重ねるという部門では、スミス以上に優れた選手はいない。
[2002年10月29日]

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