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2004200320022001

カーディナルズがトレードでRBハンブリック、DEゼルナーを獲得

 アリゾナ・カーディナルズが、RBトロイ・ハンブリックとDEペッピ・ゼルナーとオークランド・レイダースからトレードで獲得した。レイダースは、05年ドラフト指名権(順位は未確定)とカーディナルズから受け取る。ハンビリックは、サヴァナ立大から00年ドラフト外でカウボーイズに入団した。昨季はカウボーイズで全戦先発出場を達成している。彼は昨季ラン972ヤード、5TDをあげたが、5月13日に解雇され、4日後レイダースと契約していた。ゼルナーは99年カウボーイズにドラフトされ、02年までチームに在籍した。昨季は、レッドスキンズで16試合に出場している。

[2004年9月1日]

故障者続出のカーディナルズ、今度はDEウェイクフィールドが離脱

 アリゾナ・カーディナルズのDEフレッド・ウェイクフィールドが右足の疲労骨折で6週間から8週間欠場する見通しとなった。ウェイクフィールドはカーディナルズにとって6人目の重傷離脱者になっている。チームはすでにRBマーセル・シップ(脚)、WRアンクワン・ボールディン(右膝)、DEケニー・キング(手首)、FBジェイムズ・ホジンズ(肩)とWRブライアント・ジョンソン(右足)が戦列を離れている。
 シップとキングは今季絶望と見られており、ボールディンは10月中旬復帰予定。ホジンズは9月中旬に戻ってくる。また、新人WRラリー・フィッツジェラルドは、8月14日のプレシーズンゲームで左足首を捻挫している。ジョンソンはトレーニングキャンプに参加できていない。フィッツジェラルドとジョンソンは、プレシーズン残り2試合の欠場が濃厚となっている。だが、デニス・グリーンヘッドコーチは、彼ら2人が9月12日ラムズとの開幕戦に出場できると希望を持っている。

[2004年8月27日]

故障者続出のカーディナルズ、今度はDTキングが離脱

 アリゾナ・カーディナルズの守備タックル、ケニー・キングが右手首を負傷した。治療には手術が必要であり、おそらくシーズン絶望となる。昨季ドラフト5巡指名で加入したキングは、今季先発の座を巡り新人ダーネル・ドケットと争っていた。だが、彼は今年すでに手術を行った手首の腱を負傷してしまった。彼は8月17日の練習を、フェニックスでの診察のため欠席した。デニス・グリーンヘッドコーチは「彼は5月もしくは4月に、負傷箇所を直そうとしたと思う。これはとても酷いケガだ。何故ならリハビリを行えるまでに、4ヶ月はかかる」と述べている。

 

[2004年8月20日]

カーディナルズがSオハレッテの獲得に乗り出す

 アリゾナ・カーディナルズは、先日ワシントン・レッドスキンズから放出されたセーフティ、イフェアニ・オハレッテの獲得に乗り出すことを発表した。同時にCBエリック・ジョイスを放出した。オハレッテは過去2年間レッドスキンズで通算25試合先発出場、昨季は15試合に先発出場している。彼は両シーズンともに3インターセプトをあげ、昨季はチーム3位の105タックルを記録した。南カリフォルニア大出身の彼は01年にドラフト外でレッドスキンズと契約した。通算47試合出場と183タックル、7インターセプト、1サックをあげている。ジョイスは03年ベアーズのトレーニングキャンプに参加し、今年2月にカーディナルズへ加入した。彼は02年カーディナルズのトレーニングキャンプに参加した後、ベアーズで3試合出場を果たしている。

 

[2004年8月19日]

カーディナルズのWRボールディンが8週間から12週間の離脱

 アリゾナ・カーディナルズのWRアンクワン・ボールディンが、火曜日の早朝練習で痛めた右膝の手術を行った。デニス・グリーンヘッドコーチは「今日の早くに関節鏡検査を行うと、MRIはボールディンの半月板が酷い状態であることを示した。不幸なことに、手術中により詳しく調べたら、当初予想していたよりも悪かった。ケガを直すには手術をするしかなかった。良いニュースは手術がうまく行き、アンクワンは今季中に復帰できる見込みだ。復帰の時期について正確なことはまだわからない。何故なら、選手ごとに回復力は異なっているからね。一般的に、彼のケガは復帰するまで8週間から12週間かかると見ている」とコメントした。
 グリーンはさらに「アンクワンはリーグでもトップWRの1人だと思っている。彼は昨季プロボウルに出場し、素晴らしいプレイを見せた。昨日、彼がこのフィールドから去ったことで今日、チームは変わってしまった」と述べている。カーディナルズが当初予定していた3人の先発WRのうちブライアント・ジョンソンも脚のケガの治療中であり、万全の状態でいるのは新人のラリー・フィッツジェラルドだけとなっている。

 

[2004年8月12日]

カーディナルズのWRボールディンが膝を負傷

 昨季の攻撃新人王、アリゾナ・カーディナルズのWRアンクワン・ボールディンが練習中に右膝を負傷し、カートに乗ってフィールドを後にした。ボールディンは8月9日の朝練習でも同じ箇所を痛めたが、そのときは午後の練習に一通り参加していた。昨季ボールディンは新人のNFL記録となる101捕球を達成した。デニス・グリーンヘッドコーチは、このケガについてチームの朝練習の後に発表した。先週、チームはRBマーセル・シップを足首の脱臼と脚の負傷で失ったばかりだった。チームは彼がシーズン絶望かもしれないと語っている。

 

[2004年8月11日]

カーディナルズのRBシップが8週間から12週間の故障欠場

 アリゾナ・カーディナルズで昨季チームトップのラン獲得ヤードを挙げたRBマーセル・シップが、左脚の負傷で8週間から12週間欠場することになった。デニス・グリーンヘッドコーチは8月6日のスクリメージ練習で左足首を脱臼したと述べていたが、X線検査で腓骨を損傷していることが分かった。グリーンは「重症でないことを期待していたが、そうはならなかったようだ。彼が回復するまでは、かなりの時間がかかるだろう」とコメントしている。
シップは6日に板とネジを脚のなかに挿入したが、その上手術でさらにピンを入れると見られている。シップは昨季チームトップのラン830ヤードを挙げていた。チームメイトのRBデミアン・アンダーソンは「故障した金曜日の夜に彼と話をしたが、気分は良い様子だった。きっと良い鎮痛剤を取ったのだと思う。彼はとてもポジティブな態度だった」と語っている。シップの離脱により、エミット・スミスに継ぐ第2RBの座はアンダーソンとジョシュ・スコービーで争うことになる。アンダーソンは昨季ラン18回で68ヤードを記録、スコービーはキックオフリターン73回1,684ヤードに1TDを挙げているが、ボールキャリーは1回もなかった。

 

[2004年8月10日]

チーム批判が原因か?カーディナルズがCケンドールを放出

 アリゾナ・カーディナルズがセンターのピート・ケンドールを放出した。ケンドールは01年に無制限FAから入団し、最初の2年間は左ガードで23試合に先発、昨季はセンターとして13試合に先発出場していた。昨季の彼は12月7日の49ers戦で肩を脱臼した後、最後の3試合で1プレイしか出場しなかった。
デニス・グリーンヘッドコーチは何故ケンドールを放出したか、これは選手が夏のワークアウトでの激しい練習に不満を訴えたことに関係しているか、という質問に対しての返答を避けている。先月カーディナルズの複数の選手は、選手組合にチームが厳しすぎる練習を強いていてリーグの規定違反を犯していると不満を訴えていた。これを受けてNFLは、カーディナルズからワークアウト最後の1週間の実施を取り上げた。昨季4勝12敗のチームを引き受けたグリーンは「練習最初の日に私は、このチームの選手たちは誰も全力でプレイしていないと告げた。この流れでいけば、何が起きたとしても驚くべきことではない」とコメントした。グリーンは昨季のゲームフィルムを見たあとに、攻撃ラインを批判していた。

 

[2004年8月4日]

エミット・スミスが来季もカーディナルズの先発RBに

 NFL通算ラン獲得記録の保持者であるエミット・スミスが来季も、カーディナルズの先発RBを務める。デニス・グリーンHCはこの決定をオフシーズンワークアウトが終了するときに発表した。昨年、スミスが肩を負傷したあとエースRBを務めていたマーセル・シップは控えにまわる。35歳のスミスはカウボーイズで13年間過ごした後、昨年のオフにカーディナルズと2年契約を結んでいる。しかし昨年は、肩の負傷による6試合の欠場から復帰した後も控えに留まっていた。昨年のスミスはキャリア最低の256ヤードに終わり、ラン1回平均僅か2.8ヤードだった。シップはラン1回平均3.6ヤードで830ヤードを獲得している。

[2004年6月23日]

元カーディナルズのLBメイナートが死去

 1960年代、セントルイス・カーディナルズで活躍したスターLBデイル・メイナートがアルツハイマー病との長い闘病生活の末、70歳で死去した。彼はオクラホマ農工大(現オクラホマ州立大)から55年、ボルティモア・コルツにドラフトされた。その後、58年に攻撃ガードとしてシカゴ・カーディナルズに加わる前、カナダで3年間プレイしている。カーディナルズがセントルイスに移転した60年、メイナートは守備にコンバートされた。そして61年にはチームのMVPに輝き、67年に引退するまでプロボウルに3度選出されていた。
[2004年5月13日]

ティルマンがドラフトで讃えられる

母国のために究極の犠牲心をみせた“英雄”ティルマン

 NFLドラフトでコミッショナーのポウル・タグリアブは、アフガニスタンで戦死した元カーディナルズのパット・ティルマンを讃えた。タグリアブは、ティルマンの名が入った黒いリボンと、彼の背番号であった「40」が入ったカーディナルズのヘルメットをかたどったピンバッチを身に着けていた。
ティルマンは02年5月、カーディナルズを離れ陸軍のレンジャー部隊に入隊していた。彼は4月22日、アフガニスタンで奇襲攻撃を受けて死去した。会場には彼のジャージがビデオスクリーンに大きく映し出され、彼の写真が飾られていた。タグリアブは5人の海兵隊員を横に「パット・ティルマンはアメリカ、NFLにとって最も価値のある人の象徴であった。地球の至るところで私たちの自由を守っている他の人々と同じように、彼は国のために自分の人生を差し出す究極の自己犠牲をしてくれた」と語っている。
ティルマンへの黙祷が終わった後、マディソンスクウェア・ガーデンに集まった観客はUSAコールを繰り返した。98年、ティルマンはカーディナルズにドラフト7巡目全体226位で入団した。彼はハードヒッターとして知られ先発セーフティを務めると共に、スペシャルチームでも活躍していた。カーディナルズは彼の背番号40を永久欠番とし、また06年にオープンする新スタジアム脇のプラザに「パット・ティルマン・プラザ」を名づけることを発表している。

[2004年4月26日]

カーディナルズがQBブレイクを放出

世代交代をはかるためにブレイクを放出

 アリゾナ・カーディナルズはベテランQBのジェフ・ブレイクを放出、これによって今ドラフト全体3位指名権でQBを指名する可能性が高まった。1月7日、新HCに就任したデニス・グリーンにとって、これが最初の大きな選手移動となった。ブレイクは昨年の3月12日、チームを去ったジェイク・プラーマーの代役としてFAで加入していた。しかし、今季残り3試合は2年目のジョシュ・マッカウンが先発を務め、彼は最終戦ヴァイキングズ戦で残り1秒から逆転のTDを決めていた。この勝利でチームは連敗を7で止め4勝12敗でシーズンを終えた。ブレイクは今季パス367回中208回成功、パス2,247ヤード、13TD、15INTであった。

[2004年2月5日]

グリーンがカーディナルズの新HCに

最終的にカーディナルズを選んだグリーン
 アリゾナ・カーティナルズの新HCに前ミネソタ・ヴァイキングスのHCを務めたデニス・グリーンが就任した。54歳のグリーンはヴァイキングスでの10シーズンで通算97勝62敗の成績を残し、8度プレーオフに進出している。カーディナルズはグリーンサラリーについては触れていない。オーナーのビル・ビドウェルはプレスリリースで「彼は勝者であることを、その成功を収めた成績で証明している」と言っている。カーディナルズは1月9日、ニュースカンファレンスでグリーンを新HCとして紹介する予定だ。グリーンのポストシーズン通算成績は4勝8敗であり、これが2001年に解任された理由の1つと言われている。彼は98年、レギュラーシーズンで15勝1敗の成績を上げたが、NFCタイトルゲームで敗れている。また2000年にはNFCチャンピオンシップゲームで敗れている。彼は昨年、テレビのコメンテイターとして活躍し最近、レイダースとレッドスキンズのインタビューも受けていた。
[2004年1月8日]

カーティナルズのWRプールが、ランボーフィールドにゲストとして登場

何ともアメリカらしい招待を受けたプール
 アリゾナ・カーディナルズのWRネイサン・プールは、パッカーズ対シーホークス戦で、ランボーフィールドに招待された。プールはレギュラーシーズン最終週のヴァイキングズ戦、時間終了と共に決勝のTD捕球を決め、この結果、パッカーズがNFC北地区のタイトルを獲得し、プレーオフに進出した。プールは妻のネビルとともに市長であるジム・シュミットのゲストとして試合を観戦した。プールは「このような歓迎を受けたのは初めてで素晴らしいよ」と語った。彼は前半50ヤードラインの35列目で観戦したいたが、風が強くなったので後半はラグジャリースイートで観戦した。彼はカーディナルズのキャップをかぶっており、彼に気付いたファンに駐車場からスタジアムに向かう道で歓声を受けていた。
[2004年1月5日]

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