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創立
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1960年 |
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NFL加盟
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1960年 |
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レギュラーシーズン
通算成績
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349勝299敗12分 勝率.529 |
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プレーオフ
通算成績
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8勝12敗 勝率.400 |
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スーパーボウル出場
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2回(1966, 1969年度) |
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スーパーボウル優勝
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1回(1969年度) |
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NFLチャンピオン
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1回(1969年度) |
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チームカラー
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赤、金、白 |
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スタジアム
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アローヘッド・スタジアム
(ミズーリ州)
・1972年建造
・天然芝
・79,451人収容
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| 1999年 |
9勝7敗(AFC西地区2位) |
| 2000年 |
7勝9敗(AFC西地区3位) |
| 2001年 |
6勝10敗(AFC西地区4位) |
| 2002年 |
8勝8敗(AFC西地区4位) |
| 2003年 |
13勝3敗(AFC西地区1位)★ |
| ★=プレーオフ進出 |
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チーフスの歴史といえば、AFLの創設者の一人でスーパーボウルの名付け親でもあるラマー・ハントの存在を抜きには語れない。1960年のチーム設立当初は、「ダラス・テキサンズ」という名前で好成績を収めた。しかし、地域バランスなどを考慮し、1963年に現在の本拠地であるカンザスシティに移転。記念すべき第1回スーパーボウルに出場した。1969年シーズンにはQBレン・ドーソンを擁してリーグ制覇。この勝利は、八百長疑惑がかけられていたドーソンに対して、スーパーボウル終了後の記者会見場に、当時のニクソン大統領が電話で祝福のメッセージを届けたことでも有名となっている。
チーフスが第2の黄金期を迎えたのは、名将マーティ・ショッテンハイマーがヘッドコーチに就任した1989年から。1989年から1997年までの9年間で地区内順位はつねに1位か2位。プレーオフへ進むことが約束付けられたチームだったが、スーパーボウル出場へは至らなかった。1993〜1994年シーズンにはQBジョー・モンタナがチームを率いたことでも知られる。
しかし、ショッテンハイマーがチームを去った後、チーフスは伸び悩みを見せた。2001年には、1999年度にラムズを率いてスーパーボウルを制したディック・ヴァミールをヘッドコーチに配し、QBトレント・グリーンらを獲得するが、チームは開幕から低迷した。しかし、シーズン中盤以降、ラン攻撃の冴えがチームを支え、上昇気流に乗せた。2002シーズンはRBプリースト・ホームズがランにパスレシーヴにと活躍を見せたが、ディフェンスが崩壊。2003シーズンは圧倒的なオフェンス力で開幕9連勝と波に乗り、1997年以来となるプレーオフ進出を果たすが、シーズン終盤からのディフェンスの不調が尾を引きスーパーボウル出場はならなかった。2004シーズンは新たなディフェンス・コーディネーターを迎え、ディフェンス陣の再建を図る。
チーフスの財産は、地域社会からの絶大な応援を受けていること。ホームのアローヘッド・スタジアムの客席は赤一色で染まり、チーフスへ熱心な声援を贈る。また、ハント自身も、チーフスの選手には、地域のロールモデルとなることを求め、規律を重んじてきた。1999年には相手選手の挑発に乗ってパーソナルファウルを2プレー連続して犯した選手を翌日に解雇するなど、その伝統は今も衰えることはない。 |
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