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ヒストリー

皮製のヘルメットを使用していた時代から、フットボールは究極のチームスポーツであった。もちろん、個人技もあれば、個人記録もフットボールには存在するが、何よりもチームプレーがゲームを支配する。
NFLは1920年に車のショールームでそのスタートを切り、様々なチームワークのもと今やアメリカで最も人気のあるスポーツにまで発展した。
 
プロフットボール・ホール・オブ・フェイム入りを果たしたNFLの歴史を作ってきた人たち
 
1869年11月6日、アメリカで初めてのサッカーの試合がラトガーズ大とプリンストン大の間で行われた。次の7年の間に、東部の学校ではサッカーよりラグビーの方を好んでプレーするようになる。そして、フットボールはラグビーから発展する形で広まっていった。1876年には初のアメリカン・フットボールのルールが起草された。そして、後にフットボールの父として知られるようになる、ウォルター・キャンプが初めてフットボールとの関わり合いを持つ。1892年、地域のアスレチック・クラブ間の争いが激化してきたのに伴い、ピッツバーグのクラブに初めて報酬をもらってプレーするプロ選手が誕生。翌年には初のプロ契約選手も誕生した。1899年には現在のアリゾナ・カーディナルズの前身である、モーガン・アスレチック・クラブが創立された。
初のプロ選手ウィリアム・ヘッフルフィンガー
 
NFL発祥の地オハイオ州キャントンにあるプロフットボール・ホール・オブ・フェイム
1900年代に入るとプロフットボールの中心は、それまでのペンシルヴァニア州西部からオハイオ州へと移行していった。1906年には初めてフォワードパスが認められるようになる。プロチームが増え、各地でリーグ戦が行われるようになると、大きく3つの問題が浮上した。1つ目が年棒の急騰。次に高い給料を求め次から次へとチームを移る選手たち。最後に、まだ大学に在籍中の選手の扱いだ。そこで、これらの問題を解決するため、全てのクラブが同じルールに従って運営が行われるようなリーグを作る必要性が唱えられるようになる。それがNFL創設の礎となった。

1920年代

1920年8月20日、4つのプロチームの代表者たちがオハイオ州キャントンで会合を持ち、American Professional Football Association(APFA)を発足した。その2年後APFAは正式にNational Football League(NFL)と改名された。
 
1981年まで使われていたNFLの旧ロゴ
当時のNFLを支配していたのは、キャントン・ブルドッグスであった。1922年からの2シーズンで21勝0敗3分の圧倒的な強さで2連覇を達成した。その後、グリーンベイ・パッカーズがアール・ランボー・ヘッドコーチの指揮のもと頭角を表し、1929年から1931年まで3連覇した。また、1912年オリンピックでのデカアスロン金メダリスト、ジム・ソープは何チームかでプレーし、NFL初代のプレジデントとなった。
 
1930年代
NFLが発足してから数年は、成長に伴う痛みを経験した。1933年には10チームが東と西の地区に分けられ、NFL初のチャンピオンシップゲームが行われた。その試合ではシカゴ・ベアーズがニューヨーク・ジャイアンツを23対21でくだし、NFL初代の王者になった。
1930年代は、オーナー兼ヘッドコーチであったジョージ・ハラスに率いられ、フルバックのブロンコ・ナガースキーらを有するベアーズが注目を浴びた。大恐慌から第1次世界大戦までの間に、ベアーズは4回の優勝を遂げた。
1939年には、フィラデルフィア・イーグルスとブルックリン・ドジャースの対戦で、初めてNFLの試合がテレビ中継された。また、このシーズン史上初めて観客が100万人を超えた。(1,071,200)
ベアーズのオーナー兼ヘッドコーチであり、NFL創立メンバーの1人でもあるジョージ・ハラス
 
1940年代
1940年代は、ベアーズのワシントン・レッドスキンズとのNFLチャンピオンシップにおける73対0という圧倒的勝利で幕を開け、フィラデルフィア・イーグルスの史上初の2年連続シャットアウトによる連覇で幕を閉じた。(1948年: イーグルス 7−0 シカゴ・カーディナルズ、1949年: イーグルス 14−0 ロサンゼルス・ラムズ)
1946年にライバルリーグ、ALL-American Football Conference(AAFC)が8チームでシーズンを開始した。オーナー兼ヘッドコーチ、ポール・ブラウンに率いられたクリーヴランド・ブラウンズは、リーグが存続した4年間に47勝4敗3分の成績を残しAAFCを支配した。
当時の選手はあまり防具を身に付けていなかった
 
1950年代
1950年になると、AAFC崩壊後、クリーヴランド、ボルチモア、サンフランシスコがNFLに加入した。QBオットー・グラハムに率いられるブラウンズはそのシーズンNFLチャンピオンに輝いた。
50年代はブラウンズとデトロイト・ライオンズが支配した。ブラウンズはAAFC時代も含め3回タイトルを獲得した。また、チャンピオンシップには実に10年連続で出場し、そのうち7回に勝利した。RBドーク・ウォーカーとQBボビー・レーンに率いられたライオンズも3回の優勝をはたし、1952年と1953年はいずれもブラウンズに勝利し連覇を達成した。
ブラウンズQBオットー・グラハム
 
NFLが大きくなるに従い、テレビの重要性も比例して増していった。1950年にはラムズが全試合をテレビ中継される初のチームとなった。1951年デュモン・ネットワークが$75,000の放映権料でNFLチャンピオンシップを初めて全米中継した。
1958年に行われたコルツとジャイアンツのNFLチャンピオンシップで大きな転機が訪れた。史上最高の試合とも呼ばれるこの試合で、コルツがオーバータイムの末23対17で勝利を収めた。この試合は全米中継され何百万人ものファンが興奮とドラマにくぎ付けとなり、NFL人気に拍車をかけることとなった。
 
1960年代
1960年代にはその後のNFLに大きな影響を及ぼす事が数多く起きた。ヴィンス・ロンバルディ−・ヘッドコーチ率いるグリーンベイ・パッカーズの台頭、新たなNFLコミッショナーとしてピート・ロゼールの登場、American Football League(AFL)の登場、そして1967年1月初めてのスーパーボウルが行われた。
1959年、ロンバルディ氏はパッカーズのヘッドコーチに就任し、1947年以来勝ち越したシーズンがないチームに自らの勝利の哲学を注入した。ロンバルディ・ヘッドコーチが率いた9シーズン(1959−1967)のうちパッカーズは5度のチャンピオンシップと第1回と第2回スーパーボウルに勝利した。
パッカーズの伝説的ヘッドコーチ ヴィンス・ロンバルディ
 
1960年、当時ロサンゼルス・ラムズのゼネラル・マネージャーであった弱冠33歳のピート・ロゼールがNFLコミッショナーに就任し、前年に急死したバート・ベルの後を引き継いだ。

1961年にリーグの更なる成長と安定のため重要な法案が議会で可決された。これによりプロスポーツリーグが1つのネットワークテレビ局と放送契約を結ぶことが合法となり、アメリカ国内での視聴者を増やすための大きな機会が訪れた。ロゼールはこのチャンスを生かし、1962年にCBSとNFLレギュラーシーズン戦を独占放送する契約を初めて結んだ。
1965年にハリス・サーベイ社が行った調査によると、41%のスポーツファンが最も好きなスポーツとしてプロフットボールと答え、初めて野球(38%)を抜いた。

1960年にラマ−・ハント氏(現チーフス・オーナー)によって創設されたAFLは1966年NFLと合併した。合併後も1969年まではそれぞれのリーグが独自で運営を行いスケジュールも別々であったが、1967年1月から年に1度お互いのチャンピオンチーム同士が対戦する、“AFL-NFLワールド・チャンピオンシップ・ゲーム”(後にスーパーボウルと呼ばれる)が始まった。

1967年1月15日、第1回スーパーボウルが61,946人の観衆を集めロサンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われ、NFLチャンピオン グリーンベイ・パッカーズが35対10とAFLチャンピオン カンザスシティ・チーフスを破った。第1回から4回のスーパーボウルの放映権はCBSとNBCに$9,500,000で売られた。
今日のNFLを築いた前コミッショナー ピート・ロゼール
 
現チーフス・オーナー、ラーマー・ハント(前列左)らAFL創設時のメンバー
 
AFL発足当時のロゴ
 
1969年、マイアミで行われた第3回スーパーボウルで、AFLチャンピオン ニューヨーク・ジェッツがQBジョー・ネーマスの予告どおりNFLチャンピオン ボルティモア・コルツに勝利しフットボール界に衝撃を与えた。このジェッツの大番狂わせで人々は徐々にNFLとAFLの合併を受け入れ始め、その後AFL/AFCチームが12回のスーパーボウル中10回に勝利を収める原点となった。
 
当時$1で売られた第1回スーパーボウルのプログラム
華やかな私生活で“ブロードウェイ・ジョー“とも呼ばれたジェッツQBジョー・ネーマス
 
1970年代
1970年シーズン前、NFLとAFLの統合によりチームはNational Football Conference(NFC)とAmerican Football Conference(AFC)、2つのカンファレンスに分けられた。AFCは新たに新設されたシンシナティ・ベンガルズを含む旧AFL10チームとNFLからボルティモア・コルツ、クリーヴランド・ブラウンズ、そしてピッツバーグ・スティーラーズが加わる形で形成された。
1972年、マイアミ・ドルフィンズがNFL史上唯一のシーズン無敗(17勝0敗)で第7回スーパーボウルを制した。
ピッツバーグ・スティーラーズはオーナー アート・ルーニー、ヘッドコーチ チャック・ノルの下、1970年代に4回スーパーボウルに出場し(第9回、第10回、第13回、第14回)4回とも勝利した。スティーラーズはオフェンスにQBテリー・ブラッドショー、WRリン・スワン、ジョン・ストロワースら、“スティール・カーテン”と恐れられたディフェンスにはDTジョー・グリーン、LBジャック・ハム、ジャック・ランバート、CBメル・ブラントらに率いられた。
 
スティーラーズは70年代4度のスーパーボウル制覇
 
70年代のNFCチームの勝利は第6回、第12回でのダラス・カウボーイズだけであった。
フィールド外の話題としては、リーグの各チームを代表するNFLマネージメント・カウンセルとNFLプレーヤーズ・アソシエーションが団体労使契約に合意し、選手たちを取り巻く環境は格段に向上した。

1976年には、シアトル・シーホークスとタンパベイ・バッカニアーズが新規加入し、27、28番目のフランチャイズとなった。
1978年にレギュラーシーズンの試合数が14試合から16試合増えると共に、プレーオフ出場チームが各カンファレンス、ディビジョン・チャンピオン3チームとワイルドカード2チームの計10チームに拡大された。
カウボーイズの名将トム・ランドリー
 
1980年代
1980年代は記録的集客数、うなぎ上りの視聴率、フットボールの国際化に彩られる。
サンフランシスコ・49ersが1980年代を代表するチームとなった。オーナー エディー・デバトロ・ジュニア、ヘッドコーチ ビル・ウォルッシュ、その後継者ジョージ・シーファートらに率いられ、QBジョー・モンタナ、WRジェリー・ライス、RBロジャー・クレイグ、DBロニー・ロットらの活躍により4回のスーパーボウルを制覇した。(第16回、第19回、第23回、第24回)
 
80年代を代表する名QB、49ersのジョー・モンタナ 49ersの名将ビル・ウォルッシュ
 
1982年にシルバードームで行われ、49ersが26対21でシンシナティ・ベンガルズに勝利した第16回スーパーボウルではアメリカでスポーツイベントとしては史上最高の視聴率を記録した。(49.1%、シェア73.0%)スタジアムを訪れる観客は1981年シーズンに13,600,000人(1試合平均60,745人)を動員した。
NFLの視聴者はさらに増えつづけ、シカゴ・ベアーズがニューイングランド・ペイトリオッツに46対10で勝利した第20回スーパーボウルでは単体のテレビ番組としては史上最高の1億2千700万人が中継を見た。
1986年、NFL海外でのNFL人気を受け海外でのプレシーズンゲーム・シリーズである、アメリカンボウルをスタートした。今までに東京、大阪、ベルリン、メキシコシティ、モントレー、ダブリン、モントリオール、ロンドン、バルセロナ、トロント、バンクーバーで試合を行っている。
 
NFLコミッショナー
ポール・タグリアブー
1990年代
1989年、コミッショナー ピート・ロゼールが引退を発表した。それを受け、弁護士としてNFLに20年間携わりロゼールも信頼を寄せていたポール・タグリアブ ーが後を引き継いだ。
1990年シーズンはタグリアブーの初年度として様々なことがあった年であった。ABC,CBS、NBC、ESPNとの契約を更新し、新たにTNTとの契約がまとまった。また、NFLのドラッグ、アルコール、ステロイド使用に関する規定が見直され、さらに強化された。さらに、16試合のレギュラーシーズンを17週にわたり消化していくようスケジュールが改正され、各カンファレンスのワイルドカード出場チームが1つ増やされた。
 
1990年代に入ってもNFLの人気、観客動員数は増えつづけ、FOXとの共同事業としてNFLヨーロッパリーグを新設し、アメリカ国外への進出も本格化した。
ダラス・カウボーイズが3度のスーパーボウルを制し(第27回、第28回、第30回)、1990年代の顔となった。
ヨーロッパに進出したNFL
 
90年代を代表するチーム、ダラス・カウボーイズ
 
また、1997年にはデンヴァー・ブロンコズが第32回スーパーボウルで、スーパーボウル5度目の出場にして悲願の初制覇を達成した。この勝利はAFCチームとして実に13年ぶりとなるもだった。ブロンコズは第33回にも勝ち連覇を遂げた。

1990年代初頭の、最も重要なフィールド外の出来事としては、団体労使協定の延長が1993年になされたことだ。この協定は1997年にさらに2003年まで延長された。
また、リーグの拡大はさらに続いていった。1995年、ジャクソンビル・ジャガーズとカロライナ・パンサーズが新設されリーグは30チームに拡大した。1996年にはクリーヴランド・ブラウンズがボルティモアに移転し、チーム名も歴史も改め、新チーム、レイヴンズとしてスタートした。そして、クリーヴランド・ブラウンズは1999年過去の歴史を引き継ぐ形でプレーを再開した。
1998年、NFLはABC、CBS、ESPN,そしてFOXと8年間の放送契約を結んだ。
スーパーボウル5度目の出場で悲願の制覇を果たしたブロンコズ
 
2000年代
21世紀に入ってもなおNFLの人気は拡がりつづけている。
2000年には観客動員記録を3年連続で更新し2000万人を超えた。レギュラーシーズンでの16,387,289人、1試合平均66,078人も3年連続の記録更新となった。
2002年には新チームヒューストン・テキサンズが新たに加わり32チームとなる。それにより、リーグは8個の4チームからなるディビジョンに再編される。7チームがディビジョンを移り、シーホークスがAFCからNFCに移る。スケジュールを作成する際のフォーマットも変更され、4年に1度はリーグ内の全チームが対戦することになる。
ハリウッド級のサクセス・ストーリーでラムズをスーパーボウル制覇に導いたラムズQBカート・ワーナー
2002年ヒューストン・テキサンズの加入で地区再編成が行われた

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