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Tペイスがラムズと1年契約を結ぶ

 Tオーランド・ペイスが、開幕直前になってようやくセントルイス・ラムズと1年契約を結んだ。プロボウル5度出場を誇るペイスは、先週土曜日夜にチームと1年間702万ドル(約7億7200万円)の契約を結んだ。ペイスはわずか4日間のチーム練習参加で、今季開幕戦を迎える。彼は昨季トレーニングキャンプの大半を欠場し、今季もフランチャイズ選手に指定された報復として、これまでトレーニングキャンプに参加していなかった。97年ドラフト全体1番目指名のペイスは、今オフに長期契約を狙っていた。
ラムズのマイク・マーツヘッドコーチは「オーランドがチームに戻ってきてくれて興奮しているよ。彼も復帰できて良い気分でいることを知っている。彼がチームに合流してホッとしているし、とても嬉しい」とコメントした。また、マーツはペイスのトレーニングキャンプ全休について昨季と同じで否定的な感情はない、と言っている。ペイスは、プロ1年目にもトレーニングキャンプの大半を欠場している。マーツは「その時のことについては覚えていない。これは彼の契約であり、私ができることは何もない。私が関与しない、別の世界の問題だ」と続けている。ペイスは最初の練習に参加した前、後の両方ともにコメントを残していない。

[2004年9月7日]
 
 
創立
1937年
NFL加盟
1937年
レギュラーシーズン
通算成績
476勝415敗20分 勝率.523
プレーオフ
通算成績
15勝23敗 勝率.395
スーパーボウル出場
3回(1979、1999、2001年度)
スーパーボウル優勝
1回(1999年度)
NFLチャンピオン
3回(1945、1951、1999年度)
チームカラー
ニューセンチュリーゴールド、ミレニアムブルー、白
スタジアム

エドワード・ジョーンズ・ドーム
・1995年建造
・人工芝
・66,000人収容


 
1999年 13勝3敗(NFC西地区1位)★◎
2000年 10勝6敗(NFC西地区2位)★
2001年 14勝2敗(NFC西地区1位)★○
2002年 7勝9敗(NFC西地区2位タイ)
2003年 12勝4敗(NFC西地区1位)★
◎=第34回スーパーボウル優勝(23-16、タイタンズ)
○=第36回スーパーボウル出場(20-17、負、ペイトリオッツ)
★=プレーオフ進出





 
 
 ラムズは1937年にクリーヴランドで産声を上げた。1945年にクリーヴランド・ラムズで初のNFLチャンピオンに輝くと、1946年にはロサンゼルスへフランチャイズが移転。移転後の1951年にロサンゼルス・ラムズとして2度目のリーグ制覇を成し遂げた。チームは1960年代前半に低迷したものの、1970年代に入ると、ヘッドコーチ チャック・ノックス政権が7年連続地区優勝を果たすなど、当時まだ弱小チームだった49ers以下を圧倒した。その後もラムズはセインツ、ファルコンズといった同地区チームが不振だったこともあり、安定して好成績をマークし続けた。
 1990年代に入り、不振に陥る。さらに1995年にはスタジアム問題などから、49年間フランチャイズを構えたロサンゼルスからの移転を余儀なくされ、セントルイスへ移るなど、不遇の時を迎える。この辛い時期を救ったのは、1997年から指揮を執った老将ディック・ヴァーミール。ヴァーミールはチームの大半のメンバーを入れ替え、チームに蔓延しつつあった負け癖を払拭すると、QBカート・ワーナー中心のNFL史上に残る記録的なパス攻撃を作り上げて1999年にはセントルイス移転後初の地区優勝、さらにはスーパーボウル初優勝まで達成した。
 その後2001年シーズンにもワーナー、RBマーシャル・フォークらを中心とした破壊力抜群の攻撃陣を武器にスーパーボウルに出場するが、圧倒的有利とされながらペイトリオッツに大番狂わせを喫し、2度目のスーパーボウル優勝はならなかった。2002シーズンを境にワーナーが不振に陥り、負傷の間に活躍したマーク・ブルジャーとのスターター争いが取りざたされる。2003シーズンはブルジャーをスターターとしてプレーオフ進出を果たすと、2004シーズン前にワーナーを解雇。チームの将来をブルジャーに託すこととなった。
 チーム名の「ラムズ」(雄ヒツジ)は、クリーヴランドで創立された当時のオーナーの好みで決定した。

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